2016年 5月16日号


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慧妙

 2016年 5月16日

 

 

政教一致

 

 宗教法人の特権活かした選挙運動は「適用違憲」

 学会のための公明党の政治力行使は政教一致

 この夏の参院選、また巷間囁(ささや)かれる衆参同日選に向けて、創価学会の選挙活動にいよいよ熱が入ってきた。花見を口実に人を誘い出し、公明党の功績を熱っぽく語る学会員。普段は目を逸(そ)らし、避けて歩いている法華講員にさえ、作り笑顔で近寄ってくる学会員等々―。この学会と公明党の関係に、果たして正義はあるのか、それを今、改めて問う。

 

 

矢野絢也

 

 

会幹部が座談会で盛んに″予防線″

厳然たる事実の前ではそれも徒労に

  今や完全に選挙体制に突入している創価学会―。その創価学会が一番畏(おそ)れるのが、創価学会の選挙活動を「政教一致」だと批判され、これに会員が萎縮すること。そうした批判に対抗しようと、例えば『創価新報』(四月二十日号)では、青年部幹部の紙上座談会で、次のような論陣を張っている。

   ◇ ◇ ◇ ◇

宮尾 それはそうと、選挙が近づいてくると、政治と宗教の関係について、騒ぎ立てる勢力があるが、もう一度、ここで整理しておきたい。

鈴木 そもそも、「政治参加の権利」は、憲法で全国民に等しく認められている。基本的人権の柱です。

渡部 憲法でうたわれる「政教分離」の原則にしても、国民の「信教の自由」を保障するためのものです。

宮尾 英語でも「政教分離」のことを「セパレーション オブ チャーチ アンド ステート(国家と教会の分離)」といいます。「政治」と「宗教」の分離を言っているのではない。

橋元 「政教分離」の原則について、その眼目は、あくまで「国家の宗教的中立性」という点にある。

竹岡 その通りです。たとえば、国家が特定宗教に特権を与えるとか、統治権の一部をゆだねるとか、特定宗教の儀式 行事を行なうなどのことがあってはならない。そのような仕組みが、「政教分離原則」なのです。

鈴木 あくまで、「国家権力が宗教に介入しないこと」であり、「宗教団体が政治活動や選挙運動することを阻害(そがい)するものではない」ということですね。

   ◇ ◇ ◇ ◇

 本紙は、宗教を信ずる個人が、個人の意思で選挙活動をする、あるいは、宗教団体が政治活動・選挙活動をすること自体にまで、文句をつけるつもりは全くない。

 問題なのは、公益法人として免税特権を付与されながら、その宗教施設を選挙のためにフル活用する宗教法人、すなわち創価学会が行なっているような選挙活動は違憲である、ということ。

 また、これまで創価学会が主張してきたように、学会・公明党の目指すのは「王仏冥合(=政治と宗教が一体となって融合した状況)」であり、その目的は池田大作が「こう言うとまた政教一致と言われるけどね。教義を実現するためには、政治の力が必要です。そういう目的で公明党を作ったのだから。それは変わらないですよ」(平成六年九月十四日・記者懇談会)と発言したごとく、学会の教義を政治力によって実現するためである。とすれば、それは当然「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」との、憲法第二十条後段の条文に抵触し、「政教分離原則」違反になる、ということである。

 

 

税法学者が指摘した政治活動の問題点

非課税特権活かした活動は「適用違憲」

 

 まず、第一点目の公益法人たる宗教法人の政治活動について、その問題点を指摘する。

 税法学者の北野弘久氏(元日大名誉教授・故人)はかつて、本紙の取材に応(こた)えて

 「憲法二十条に『信教の自由』という規定がありますが、その中には宗教と政治の分離の規定が含まれています。

 また憲法八十九条には、税金の使い方の問題ということで、宗教団体に公金を支出してはいけない、という規定があります。これは、税の面から憲法二十条の政教分離原則を担保するための条項です。

 こうした憲法規定に照らし合わせたとき、学会の選挙活動には税法上問題がある、と指摘せざるを得ません」

と指摘。続けて

 「アメリカでは、国税庁が宗教団体の活動実態を調べた上で、個別に免税特権を与えるかどうかを決めています。つまり、宗教法人であっても、政治活動や営利事業を行なっている実態があれば、免税特権を剥奪(はくだつ)されます。例えば、牧師が一市民の立場で自分の政治信条に従って活動することは認められますが、教会の牧師という立場で話したことが分かれば、免税特権を剥奪されます。それほど厳格に政教分離が行なわれているのです。

 これに対し日本では、実態がどうあろうと、宗教法人の施設であれば、基本的に課税されない現実がある。

 ただ、固定資産税や都市計画税は、固定資産についての現況課税の租税であり、地方税法四〇八条は、当該物件に対する課税庁の毎年の実地調査を義務付けていますから、たとえ、それが宗教法人の施設であろうと、利用状況を精査した上で、課税・非課税を決めなければならないはずなのです」

と語った。

 選挙のたびごとに、創価学会の施設が〝裏選対〟として使われていることは、元公明党委員長の矢野絢也氏や元公明党副幹事長の福本潤一氏が指摘しており、また、活動家学会員なら誰もが承知している事実。

 北野氏は、

 「そういう実態があり、これに対して実地調査が行なわれない、当然ながら課税もされない、ということになれば、それは『適用違憲』ということになります。

 つまり、本来なら課税すべきところを課税しないというのは、税額相当分を宗教法人に〝補助〟したことになる。私はこれを『隠れた補助金』と呼んでいますが、これは宗教法人に対する公金の支出を禁じた、憲法一四条・二〇条・八九条に抵触することになり、非課税規定を適用すべきでないのに、同非課税規定を適用することは『適用違憲』ということになるのです。

 こうした状況は、関係自治体の不作為の違法―本来行なうべきことを行なっていない違法な状態―ということになり、関係自治体は即刻、調査に入って、追徴課税すべきですし、もし過去にも同じ状況があったとすれば、遡(さかのぼ)って調査し、追徴課税が必要なら、即刻課税するべきなのです。

 もし自治体がこれを行なおうとしないならば、取るべき税金を取らないことになり、公金の管理を怠(おこた)ったことになって、住民監査請求の対象になり得ます。場合によっては住民訴訟の対象にもなるでしょう」

と指摘していた。

 北野氏はさらに、学会職員等の選挙運動に関しても、

 「彼らが、学会職員の立場で選挙活動を行なっていたとすれば、これも問題です。専従職員ではなくても、たとえば交通費などを支給されている幹部も同様です。彼らに支給されていた給料や手当の一部は、施設の固定資産税同様『隠れた補助金』に該当する、といえるでしょう」

と問題提起していたのである。

 

 このように、創価学会における政治活動選挙運動の実態は、税法上、違憲である可能性が濃厚なのである。

 

 

「政治力の特権を行使」すれば憲法違反

隠そうにも隠しおおせぬ池田発言と事実

 

 第二点目の、学会の教義を政治力を行使して実現する、という点は、さらに重大な問題を孕んでいる。

 この点をごまかそうとして、学会では盛んに「宗教者や宗教団体が政治活動をすることは違法ではない」と強調しているが、問題なのは「宗教団体が政治上の権力を行使すること」なのである。

 すなわち、公明党の人事権を創価学会が握り(※公明党の委員長は、選挙によらず、学会の意向によって決まる)、その上で、

 「創価学会と学会員を守る。それが公明党だ」(斉藤鉄夫元環境大臣への池田大作の激励)

 「教義を実現するために公明党を作った」(前出)

と豪語し、事実それを裏付けるものとして、学会からの要請を受けた公明党が創価学会への国税の調査を妨害し、手心を加えさせた―等の指摘が元公明党委員長らからなされていることは、明らかに政教分離原則に違反している、といわざるを得ない。

 しかも公明党は、平成十一年以来、自民党と手を組んで政権入りし、与党として政治権力を行使できる立場にある。ならばこそ、学会=公明党の政教分離違反の疑惑について、糾明していくべきことは、当然すぎるほど当然であろう。

 以上に述べてきたような、学会・公明党の政教一致疑惑について、名だたるマスコミ・ジャーナリストが沈黙していることは、犯罪的ですらある。

 

 我々は、創価学会員に対する折伏に励むと共に、日本国民として、この重大な政教一致疑惑についての理解を深め、世の多くの人々に知らしめていかねばなるまい。

 

 

 

 

 

 

(2面)
 
 

福本・小谷仁の破折対談

カルト創価を斬る

    

 元創価学会文化本部書記長・元芸術部書記長  小多仁 伯

       

  

 第56回

待望の『サヨナラ私の創価学会』 partⅡ が完成!

 

 

サヨナラ私の創価学会

 

男女12名の体験を綴ったpartⅡ

 

 創価学会名誉会長・池田大作が表舞台から消えて、すでに六年になります。

 不倒翁(ふとうおう)といわれた池田も、その命運が尽き果てようとしています。

 今回、〝創価学会・公明党の誤りを糾すOB有志の会〟の方々が『サヨナラ私の池田大作』PartⅡを執筆され、出版する運びとなりました。

 前書PartⅠは、婦人部の元幹部十八名が綴(つづ)った渾身の力作として、大きな話題を呼びました。それは創価学会の最強組織「婦人部」の実態を余すところなく証言した本でもありました。

 すなわち、婦人部の日常活動において、池田宣揚の先兵として活躍していたことを振り返り、反省懺悔した体験集でした。

 毎日のように繰り広げられる婦人部の集会で「センセー♪センセー♪われらのセンセー♪」のフレーズを何回も何回も歌わされていくうちに、〝池田に共鳴し〟〝池田に心酔し〟〝池田と共に毎日をおくる幸せ〟に惑わされ、次第にマインドコントロール(MC)されていく体験を、赤裸々に証言していました。

 執筆者十八名は、創価特有のマインドコントロール(MC)教育に取り込まれ、〝自分を見失い〟そして〝ご主人の存在も薄れ〟さらには〝子供をほったらかしにして〟、家庭内は散らかし放題、殺伐(さつばつ)として潤いを無くした空間としてまでも、ひたすら〝池田センセー〟と連呼して止まない異常生活を送っていたことがよく分かりました。

 この実態は、学会二世、三世が、インターネットで告発している内容からも実証されています。

 PartⅠに登場した十八名の婦人部の執筆者は、決然として日蓮正宗法華講員として正信に目覚め、脱創価・脱池田を勝ち取った勇気ある女性たちでした。

 

 

 今回出版される『サヨナラ私の池田大作』PartⅡは、男性十名、女性二名の執筆者で構成されています。

 

 

partⅡの内容を一部を紹介

 

 その中でSさんは、聖教新聞社の論説委員を務めており、記事が優れていたことから、金賞や銀賞を数多く受けていました。

 Sさんは、〝牧口常三郎〟伝を出版するという聖教新聞の大型企画を、他の記者六名と共に完成させました。

 この企画は、写真八頁、本文五百六十二頁にわたる膨大な量で、国中の多くの研究者に対する取材の賜物(たまもの)でした。

 完成してから、池田は、Sさんや執筆者に向かって「読んだよ。良い本だ。だけどねー、ある人が言ったのだが、この本は画竜点睛を欠くというのだよ!」と、その本のどこにも池田大作の名前が出てこないことにクレームをつけ、この本を世間に広く読ませることはしませんでした。

 Sさんは言います。「牧口会長と池田は面識がないし、牧口常三郎の学術書を池田会長が論評することはできないと思われたので執筆依頼もしなかったのです。」また「池田会長を宣揚するための本にはしたくない、という私の想いは叶ったのですが、池田センセーにとっては気に入らない本となったようです」と。

 しごく当たり前のことが、池田にとっては我慢ならないことであったのです。

 Sさんを始め、制作した聖教記者は、牧口会長の取材を進めていく段階で、本当の池田の姿や、日蓮正宗に対する創価学会の不誠実さを感じていたようです。

 

 完成してから程なくして、Sさんも他の人たちも、創価学会から脱会していきます。

 

 

Sさんが見た池田大作の実像

 

 Sさんの池田大作体験は、こうした記者時代の活動を通して、間近で池田を見てきた歴史でもあります。

 一九八四年(昭和五十九年)にサンケイ出版から、グループS著『小説聖教新聞』(内部告発実録ノベル)という本が出版されました。内容は、かなり創価学会や聖教新聞社の核心を告発しています。案の定、大騒動になりました。

 さっそく犯人探しが始まり、職員同士が疑心暗鬼になり、重苦しい雰囲気がどんどん増殖されていきました。

 誰かが名前を隠し、内部情報をマスコミに流している。共産党のオルグが内部に入り込み、創価をかく乱しているのではないか――等々。

 こういう事に一番弱く、猜疑心(さいぎしん)を募(つの)らせるのが、永遠の指導者「池田センセー」なのです。側近の最高幹部たちは、センセーから毎日のようにどやしつけられ、右往左往しますが、犯人捜しはいっこうに進展していきませんでした。

 そうした折、Sさんも犯人の一人ではないかと疑われ始めました。その経緯を、Sさんの本文から紹介します。

〈内部告発の記事を書いた人物の犯人捜しが聖教新聞社内でも始まり、疑心暗鬼の空気が漂っていました。そして、私を疑う空気が日に日に高まってきました。私が内部告発の記事をコピーして、かって自分が折伏した人たちに真実を知らせるために送っていたことが、疑惑を生んだようでした。私を遠巻きに観察したり、私が執筆の仕事をしていた部屋に盗聴器が設置されたりしました。全く身に覚えがない疑惑なので、私は平然としていました。しかし、ついに私を査問することになり、青山にある満月という寿司店に呼ばれました。池田会長のほか北条副会長はじめ副会長が3人もきていました。

 センセーは勝ち誇ったように言いました。

 「君が書いているのはわかっているのだ。白状しなさい」

 私は、心の準備をしていた演出を試みました。キッと相手を睨(にら)み付けて大声で、

 「センセー、情けないです。師匠ともあろうものが、弟子が潔白なことくらい見抜けないのですか。こんな残念なことはありません。センセー、それでも師匠ですか!」

 池田会長は仰天した様子で、副会長たちを指さして叫びました。

 「わ、私は君を疑ってなんかいない。お、お前たちが悪いのだ。S君に謝りなさい。」

 副会長たちは一斉に土下座して、「Sさん、すみませんでした」と一人ずつ、大きな声で謝りました。この副会長たちの愚かな服従の態度を見て、私は腹が立ちました。それで、予定していなかった発言をしました。

 「あなたたちには関係ないです!」

 これがセンセーの逆鱗(げきりん)に触れました。センセーは狂ったように叫びました。

 「これだけ謝っているのに、君は何を言うのだ。いい加減にしろ!」

 この日のことで、私に対する疑いの目は消えました。しかし、センセーの私に対する見方に変化が出てきたようです。〉

 このエピソードの中に、滑稽(こっけい)とも思える池田や創価幹部の体質が如実に顕われています。

 この似非(エセ)指導者に対し、いまだに学会員は「センセーは偉大だ」「世界の指導者である」「現代の仏様」との誤った認識を抱いています。

 

 今、重要なことは学会員として一生涯、愚かな池田を信じ、池田亡き後も、権力闘争に明け暮れる創価幹部に従っていくのか、それとも、一生成仏を目指す観点から、そんな無慙な選択はできないと、腹を括(くく)るかです。日蓮正宗の信仰に目覚める時は今しかない、と強く言わずにはおれません。

 

 

 

 

 

 

 

異流義からの疑難を破す

悪書『石山本尊の研究』を嗤う

 

①異流義・他門を転々とした著者


 

大石寺攻撃のための恣意的な謗書

法門に未熟な放言でも厭わず破折

石山本尊の研究

 

 

 

 

 

 

 

(3面)

 

異流儀教団の迷妄を摧く   連載 第60回

捃捨雑記

不可解な「差別」と「平等」

 

創価学会未来部

 

学会男子部の思考回路に唖然・呆然
 
社会常識も判らぬほど「頭破七分」
 
 
 
 

 
 

 
 
 

 
 

連載

温故知新

   -古の信行に学ぶ-

(34)御堂安置の御影像「御衣替」の歴史㊦

 

今回の「御衣替」で判った修復の履歴 

日蓮大上人御影はほぼ造立当初の姿に

古の信行

 

 

 

 

 

 

 

(4面)

 

顕正会員の迷いを覚醒する―

顕正会につける薬

第38回

ニセ本尊の安置を誇る愚

顕正会

顕正会の「日布上人御形木」はニセ本尊

 

頭破七分を畏れ今すぐ脱会を!

 

 

 


 

 
 

 

 

11
 
(第343回)

 

 

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