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	<title>慧妙（えみょう）オフィシャルサイト　創価学会・顕正会・正信会等の異流儀破折の情報 &#187; 破折済みの疑難</title>
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	<description>創価学会・顕正会・正信会等の異流儀破折の情報</description>
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		<title>7万５千名大結集総会</title>
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		<pubDate>Sat, 26 Sep 2009 08:19:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ark</dc:creator>
				<category><![CDATA[破折済みの疑難]]></category>

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		<description><![CDATA[7万5千名大結集総会の成功に焦る学会 機関紙の誹謗記事に妬みの心がアリアリ 証拠抜きで「失敗」罵るだけの『創価新報』 嘘だらけの誹謗記事を検証して粉砕 「空席」というが実際は満席状態だ 規模からいえばトラブルも皆無と同然 ...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>7万5千名大結集総会の成功に焦る学会<br />
機関紙の誹謗記事に妬みの心がアリアリ</p>
<p>証拠抜きで「失敗」罵るだけの『創価新報』<br />
嘘だらけの誹謗記事を検証して粉砕</p>
<p>「空席」というが実際は満席状態だ<br />
規模からいえばトラブルも皆無と同然！</strong></p>
<p>八月十九日発行の『創価新報』。その七面には大きく「日顕宗の大会はやっぱり水増し結集」との見出しが踊った。『新報』は、<br />
「去る七月二十六日の日顕宗の総会は大失敗に終わったが、宗門は機関紙『大白法』（八月一日付）でこの集会を特集。ところが、この新聞が、総会の悲惨な実態と宗門の大ウソを暴（あば）く大墓穴を掘るものとなっている」<br />
とし、〝『大白法』に掲載された写真を見れば、三門前エリアに大きな空席スペースがあり、他にも空席が散見される〟としているのだが、不思議なことに、その駄文には裏付けとなる写真が掲載されていない。<br />
〝『大白法』に掲載された写真を見れば……〟というのだから、当該『大白法』の紙面を載（の）せればよさそうなものだが、視覚で確認できる証拠は、まったく掲載していないのである。<br />
なぜか――それは、件（くだん）の写真を載せてしまえば、『新報』の記事こそがデタラメであることが一目瞭然（いちもくりょうぜん）になってしまうばかりか、大結集総会が大成功したことを学会員に周知する結果になってしまうからに他ならない。<br />
この哀れな『新報』に代わって、本紙が件の写真を掲載し、真実を証明してあげよう。<br />
たしかに、　の写真を見れば、三門前にはまとまった空席があるように見える。<br />
が、三門脇の杉木立付近をご覧いただきたい。その空席に相応する程度の人数が、そこに確認できるではないか。そして、この杉木立の中にはトイレがあるのだ。<br />
今回は、参加人数等も考慮して、大結集総会の間であっても、トイレに立つことは規制されていなかった。そして事実、この写真のように、トイレに立った人がいた――それだけのことである。<br />
『新報』編集子も、そんなことは写真を見て百も承知だったはず。にもかかわらず、かような記事を書かねばならなかったところに、また、『フェイク』をはじめとする怪文書が今も、大結集総会に対する誹謗（ひぼう）を続けているところに、七万五千名大結集総会の成功に対する、創価学会の焦（あせ）りと妬（ねた）みがハッキリと浮かんでいるのである。<br />
『新報』はまた、<br />
「転倒してケガをする者、総会中に卒倒してタンカで運ばれる人、総会前に吐き気を催（もよお）し悶（もだ）える人、これらは実際に参加者が目の当たりにした悲惨な光景である」「救急車は、何度も往来。一日のうち、大石寺にあれだけ救急車が出入りしたことが過去にあっただろうか」<br />
などと書き殴っているが、これもまた、ためにする悪口でしかない。というのも、「これだけの規模の催しであれば、アクシデントがもっと発生していても何ら不思議ではないのに」と、市の関係者はじめ外部の人間が異口同音に語っていたほど、問題が少なく、また小さかった、というのが実際のところなのである。<br />
実際、万が一の事態に備えて、今年三月に東京マラソンで有名タレントの一命を救ったことで知られるＡＥＤを、山内各所に配置していたのだが、結局、それらは一回も使用されることがなかった。それほど、空前の大結集の規模に比すれば、アクシデントは皆無というべき状況だったのである。<br />
加えて、当初、危惧（きぐ）する声が強かった（その声も大半は学会怪文書だが）富士宮市内の大渋滞も、事前の周知と周到な準備に加え、緻密（ちみつ）な運営の成果で、本山周辺の一部の道路を除き、大結集総会に起因するような渋滞は起きなかったという。これについては、『大白法』（八月十六日号）に掲載された法華講員の「声」の中に、それを裏付けるタクシー運転手の証言が紹介されている。</p>
<p><strong>偽造された許可証もって謀略部隊が<br />
総会終了後の空席を必死で撮影する姿も</strong></p>
<p>このように、大成功のうちに終わった大結集総会だが、一方で、これの失敗を願う謗法の輩（やから）は、何とか総会の〝アラ〟を探して誹謗の種にしようと、あの手この手で暗躍した。<br />
中でも呆（あき）れ返るのは、総会当日、わざわざ［ＰＲＥＳＳ」用の許可証まで偽造し、会場内に紛れ込んできた男がいたこと。<br />
警備員がなぜ、その男に目を留めたのかといえば、その男は大結集総会の四日前にも、大石寺に現われて、総会の準備風景を撮影するなど不審な動きをし、警備員に誰何（すいか）された不審者だったからである。<br />
参加者の中にその男の姿を見つけた警備員が男に声をかけると、男は、「ＰＲＥＳＳ」という文字と「立正安国論正義顕揚七五〇年」のロゴマークが印刷されたパスを、堂々と胸のところに下げていた（！）。<br />
そして男は、警備員に対し、〝今日はお寺の記録係として、写真撮影をしている〟と釈明したのである。<br />
だが、そもそも大結集総会の「ＰＲＥＳＳ」パスは、特別に許可された者だけに発行されたもので、〝お寺の記録係〟としての信徒個人に対しては発行されておらず、しかもこの男が身につけていたパスは、本物とは微妙に色合いが違っていたのである。<br />
この男の属する「ＰＲＥＳＳ」が、いかなる新聞（文書？）であるかは読者の想像にお任せするとして、身分証まで偽造して侵入しようとする、その犯罪体質には開いた口が塞（ふさ）がらない。<br />
また、登山バスの車列にカメラを向ける学会青年部の姿や、はては、総会終了後の空席を必死に撮影する（笑い）学会職員の姿までが目撃されているが、誰が逆立ちしてみたところで、大結集総会が成功した事実は覆（くつがえ）せないのである。<br />
今回の大結集総会に関しては、その模様を伝える写真集『はばたけ未来広布へ！』も発行されている。<br />
我々は、〝学会は大繁栄、法華講は衰退の一途〟と教え込まれている学会員に対し、厳然たる事実を彼らの眼前に突きつけ、正しい信心へと覚醒（かくせい）させていこうではないか。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>通諜本文</title>
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		<pubDate>Fri, 25 Sep 2009 14:01:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ark</dc:creator>
				<category><![CDATA[神札問題]]></category>

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		<description><![CDATA[創価学会教育学会各理事 殿 仝            各支部長 理事長　戸田城外 通諜 時局下、決戦体制の秋、創価教育学会員には益々尽忠報国の念を強め会員一同各職域に於いてその誠心を致し信心を強固にして米英打倒の日まで戦 ...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>創価学会教育学会各理事<br />
殿<br />
仝            各支部長<br />
理事長　戸田城外<br />
通諜<br />
時局下、決戦体制の秋、創価教育学会員には益々尽忠報国の念を強め会員一同各職域に於いてその誠心を致し信心を強固にして米英打倒の日まで戦ひ抜かんことを切望す。依って各支部長は信心折伏について各会員に重ねて左の各項により此の精神を徹底せしめんことを望む。</p>
<p>一　毎朝天拝（初座）に於いて御本山の御指示通り、皇祖天照大神皇宗神武天皇肇国以来御代々の鴻恩を謝し奉り敬神の誠を致し、国運の隆昌、武運長久を祈願すべきことを強調指導すべきこと。<br />
一　学会の精神たる天皇中心主義の原理を会得し、誤りなき指導をなすこと。<br />
一　感情及利害を伴へる折伏はなさざること。<br />
一　創価教育学会の指導は生活法学の指導たることを忘る可からざること。<br />
一　皇大神宮の御札は粗末に取り扱はざる様敬崇祖の念とこれを混同して、不敬の取り扱ひなき様充分注意すること。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　以上<br />
六月廿五日</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>通諜は実在した！</title>
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		<pubDate>Mon, 21 Sep 2009 06:06:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ark</dc:creator>
				<category><![CDATA[破折済みの疑難]]></category>
		<category><![CDATA[神札問題]]></category>

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		<description><![CDATA[やはり学会文書「通諜」は実在した 返還された押収書類の中に約三十通 〝事実無根説〟総崩れ・　これが実物カラー写真だ 偽造写真事件で窮地に立たされている学会では、会員から疑惑の眼が向くのを必死にかわそうとして、インチキ新聞 ...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>やはり学会文書「通諜」は実在した<br />
返還された押収書類の中に約三十通<br />
〝事実無根説〟総崩れ・　これが実物カラー写真だ</strong></p>
<p>偽造写真事件で窮地に立たされている学会では、会員から疑惑の眼が向くのを必死にかわそうとして、インチキ新聞『創価新報』を使い、かの戦中の学会文書「通諜」を「戦後の偽書」「捏造文書のプロの仕業」「宗門の愚かな画策」であるとするキャンペーンを打ち上げた。だが、この必死の悪あがきも、正真正銘の「通諜」の実物が提示されてしまえば、すべて崩壊する。ここに本紙は、学会の「愚かな画策」を粉砕すべく、「通諜」の実物カラー写真を初公開し、併せて同文書の伝わった経緯と背景を明らかにするものである。</p>
<p><strong>「通諜」の所在と伝わった経緯</strong></p>
<p>一つの事実は百万の言葉に勝る。まず、このカラー写真をご覧いただきたい。これが、かねて騒がれてきた、昭和十八年六月二十五日付・戸田城外（後に城聖と改め）理事長名の「通諜」・・その実物である。<br />
この文書は、東京の稲葉荘氏（学会の初代総務・稲葉伊之助氏の子息）宅に保管されていたもので、かつてフリーライターの溝口敦氏も『池田大作・創価王国の野望』（紀尾井書房刊）中に<br />
「今回の取材で初めて確認したのだが、この通牒は真物である。もともとの出所は稲葉荘氏で、稲葉氏は同家の地下室に収蔵していたため、文書は湿気で周辺部がボロボロになった。現在、同文書は同大同形の紙で裏打ちされ、たしかに畳（たた）まれて保存されているが、畳まれたときの破損状況は理にかなって作為はあり得ない」<br />
と述べ、これを『妙観』紙（平成四年五月十五日付）でも引用掲載したことがある。<br />
しかるに今回の新報のキャンペーンでは、何故か稲葉氏の名には少しも触れず、ひたすら、野島辰次氏（元副理事長）作成説を批判してみたり、「戦後に入信した、ある特定の法華講員」による後世の偽作と勝手に決めつけたりしている。おそらく、稲葉氏について触れれば、同氏宅に「通諜」の実物が保管されていることがクローズアップされてしまい、それがもし〝実物鑑定〟にまで発展してしまえば、同文書が戦中のものと判明してしまう・・それが、学会にとっては至極、都合が悪かったからであろう。<br />
だが、そうした姑息な考えに基づく策謀も、ここに「通諜」の実物を提示したことで、すべて吹っ飛んでしまった。すなわち、いかに「通諜が存在しなかった証拠」をあれこれ考え出してみたところで、実物が存在している以上、すべてが空論と化してしまうからである。<br />
さて、動かぬ証拠ともいうべき「通諜」の実物を提示した上で、さらに、これが稲葉氏宅に伝わった経緯と背景について述べる。<br />
昭和十八年七月六日、牧口会長・戸田理事長・矢島周平氏・稲葉伊之助氏らが逮捕された際、各人の家は特高警察の刑事達によって捜索され、関係資料の一切（この中には、なんと御本尊までが含まれていた）が押収されてしまった。<br />
稲葉氏宅の場合、この押収資料が返還されることになったのは、ようやく戦後十年も経った昭和三十年頃のことであり、リヤカーを引いて資料の受け取りに行ったということである。<br />
その折、伊之助氏の娘（荘氏の姉）が牧口氏の息子・洋三氏（戦死）に嫁いでいる、という縁戚関係があったことから、当局より、牧口氏の押収資料も一緒に引き渡され、稲葉荘氏はハトロン紙に包んだ返還資料を二人分（二個口）持ち帰ってきた。<br />
そして、当時すでに二代会長に就任していた戸田会長に架電し、牧口氏の分の返還資料の処置について相談したところ、<br />
「それは荘君が保管していてくれ」<br />
との指示であった。<br />
そこで稲葉氏宅では、いったん二個の包みを開き、その中味を一緒に保管するところとなったのだが、昭和三十五年に池田が三代会長に就任して後、柏原ヤスを通じて、<br />
「保管されている牧口先生の分の資料を、記念品として学会に引き渡してほしい」<br />
旨、申し入れがなされた。<br />
こうして、ほとんどの牧口氏の資料が学会に引き渡されたのだが、稲葉氏宅では、二個の包みをほどいて中味だけを一緒に保管していたため、牧口氏の携行用の小さな御書を含め若干の引き渡し洩れが生じたのであった。そして・・この引き渡し洩れの牧口氏の資料の中にあったか、あるいは稲葉氏の分の資料の中にあったか、定かに区分けすることはできないが、ともかく、そのとき稲葉氏宅に残った資料の中に、ワラ半紙にガリ版刷りの「通諜」があったのである。その数、およそ三十枚・・。<br />
稲葉氏宅では、この文書がそれほど重大な問題になるものとは夢にも思わず、他の資料と共に、再び地下室に収蔵したのであった。その後、湿気の多い地下室に長期収蔵されたため、同文書は多くが破損滅失し、残りは各関係先へ資料として寄贈された（幸いにして三通の「通諜」の現存が確認されている）。<br />
以上が、稲葉氏宅に「通諜」が伝わった経緯である。</p>
<p><strong>「通諜」にまつわる謎を解明<br />
傍証となる学会側記録も明らか</strong></p>
<p>このことから、さらに立ち入って考えてみると、「通諜」が入っていたのは、おそらく牧口氏宅から押収された資料の中、と考えて間違いない。<br />
何故ならば、もし稲葉氏宅からの押収資料の中にあったとすれば、少なくとも昭和十八年七月六日の逮捕前に、「通諜」は稲葉伊之助氏に渡されていたことになる（それも三十枚も）。<br />
むろん、「通諜」の宛て先が当時の「各理事・各支部長」となっていることからすれば、理事であった稲葉伊之助氏に渡っていても不思議はないが、だとすれば、当時の副理事長であった野島辰次氏が「通諜」の存在を知らない（と思われる）ことや、稲葉氏宅以外で見つかっていないことは、どうにも不自然に感じられる。<br />
では、この「通諜」が稲葉氏宅から押収された資料の中になかった、とするならば、あと残る可能性としては、牧口氏宅からの押収分の包みの中に入っており、しかも学会への引き渡しから洩れた分の中にあった、ということになる。<br />
つまり「通諜」は、昭和十八年六月二十五日付で文章が作られ、その翌日くらいまでに約三十枚がガリ版印刷された後、牧口氏宅に届けられたが、折しも六月二十九日には、理事の陣野忠夫らが非常識な罰論を使ったことが原因で逮捕され、そのゴタツキが起きたためであろうか、牧口氏は「通諜」を配布する機会のないまま、七月二日早朝から地方布教に出かけ（おそらく氏は、幹部の一斉逮捕などというほど、事態がさし迫っているとは思っていなかったであろう）、七月六日の下田での逮捕となったから、「通諜」は誰の手にも渡らないまま、約三十枚がそっくり牧口氏宅から官憲に押収されたものと考えられる。<br />
されば、今回の新報がいうような、「獄中の野島を見ても『通諜』は一切出てこない」「『通諜』が実在していたのなら、野島は当然それを供述しているはず」「当時の理事・支部長だった人達にも配られていない」等というのも、むしろ状況としては当然のことといえよう。野島氏以下ほとんどの幹部達は、「通諜」の存在を知らなかったであろうから。<br />
また、新報のいう「もし『通諜』があれば、とくに高齢だった牧口会長に対しては、保釈も検討されたであろう。（略）尋問調書や裁判書類には『通諜』は一切出てこないし、押収書類のなかにも『通諜』はないのである」等という疑難はどうであろうか。<br />
じつは、当時の特高警察は、先に逮捕してあった陣野氏らを激しく取り調べ、学会弾圧の罪状を作成した上で、一挙に、牧口氏以下二十一名の幹部を逮捕に踏み切っている。つまり、学会を潰滅せしめる意志決定が、あらかじめなされていたのだ。<br />
それであれば、まだ配布もされていない「通諜」なる文書が牧口氏宅からの押収資料中にあったとしても、当局としては、これを取り挙げるどころか無視を決め込むであろうし、ましてや「保釈を検討」したり、わざわざ「尋問調書」等の中に記録を残すようなヘマをするはずがない。悪名高い戦時中の特高は、人の良い民主警察ではないのである。<br />
これで、「通諜」に関する大きな謎・・戦時中の証言や資料が出てこない理由・・が解明されたが、では、この「通諜」の存在についての、古い証言や資料はまったく皆無なのかといえば、それは否である。『冨士宗学要集』（五十九世日亨上人編）の第九巻の法難編・第十三章「昭和度」に、<br />
「左の一編は小平芳平氏（※当時の学会教学部長）の記に依る」（四二九頁）<br />
として、学会側から寄せられた弾圧記録が載せられている。そこに、<br />
「十八年六月には、学会の幹部が総本山へ呼ばれ、『伊勢の大麻を焼却する等の国禁に触れぬよう』の注意を、時の渡辺部長より忠告を受けた。牧口会長は、その場で暫く、柔らかにお受けした。（中略）合同問題のもつれと、小笠原一派の叛逆、牧口会長の国家諌暁の強い主張等を背景とし、直接には、牧口会長の折伏が治安を害するといい、また神宮に対する不敬の態度があるとして、弾圧の準備が進められたから、会長の応急策もすでに遅し（※以下、次々と牧口氏ら学会大幹部が逮捕された状況が述べられている）」（四三一頁）<br />
との文を見ることができるのである。<br />
この文中、すでに手遅れだった「会長の応急策」とは、まさに六月二十五日付「通牒」をさすことは明白である。もし、そうでないというなら、六月二十日に総本山で「忠告を受けた」後、七月六日に逮捕されるまでの間に打った「会長の応急策」とは、いったい何だったのか、また、どうして「すでに遅し」だったのか、それらを明らかにした上で反論しなければなるまい。<br />
ともあれ、この宗学要集掲載の文が、「通諜」実在の傍証であることはもはや確実であり、このことは、とりもなおさず、〝学会の首脳陣は「通諜」の存在も、作成の経緯も知っていた〟ということを、雄弁に物語っているのである。<br />
嗚呼（ああ）、なんたる不正直の謀略組織であることか・・。</p>
<p><strong>崩壊した学会側の疑難！<br />
自己矛盾と幼稚な妄説を破す</strong></p>
<p>なお、右の宗学要集掲載の文中、「牧口会長は、その場では暫く、柔らかに（宗門の忠告を）お受けした」とあることについて、新報では、野島辰次氏の遺稿集『我が心の遍歴』（平成四年六月十九日発行）を頼りに、<br />
「野島の記述は、当時の学会が、本山の申し出を後にも先にも、まったく受け入れなかったから弾圧された、ということであり、その意味で『通諜』などまったくなかったことの重要な証言といえよう」<br />
などと、はしゃいでいる。<br />
だが、この野島氏の遺稿は、氏自身の心に感じた、主観的な見方を書き綴（つづ）ったところの、まさに『我が心の遍歴』であり、一方の、小平教学部長の手による宗学要集掲載の文は、昭和十八年六月二十日の「忠告」の場に立ち合われた日亨上人が允可（いんか）されたものであり、また学会の公式見解ともいうべき記録である。<br />
それを、その時の都合次第で猫の目のように変節し、これまで「裏切り者」「退転者」と罵ってきた野島氏の遺稿を利用して、自ら公認してきた記録の方を知らぬ顔で引っ込める、この破廉恥ぶり。信仰者として、恥ずかしくないのか、と言いたい。<br />
これについては、稲葉荘氏夫妻が、昭和十八年六月下旬当時の出来事として、<br />
「学会では、慌てて神札の取り扱い方を変え、いちおう受け取るよう、指示を流しました。私の家も、他の家も、それで神札を受け取ったんです。それが、おそらく本山からのお話のあった直後のことだった、と思います」<br />
と証言していることだけ紹介しておこう。<br />
最後に、今回新報が述べたてた「宗門、『野島作成説』で命取り」という論調については、宗門ではこれまで「野島作成説」など主張したことはない、ということをここに明記し、また「（通諜は）戦後に入信し、戦前の学会とは何の関係もない、ある特定の法華講員が作成した」との妄説については、ならば、その「特定の法華講員」の氏名と、その人物が「作成した」という根拠を責任をもって明示せよ、（どうだ、できまい？　それは学会のムリな言い掛かりだからだ！）と申し伝えておく。</p>
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