学会、ついに大御本尊との訣別を表明! 慧妙 2014年11月16日号


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慧妙 2014年11月16日号

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  わずかに残っていた信心の欠片も吹き飛ぶ

原田会長の大謗法の本尊義を破す

 

     かつての学会の教義にも真っ向から違背する邪義

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去る十一月七日、創価学会は会則の教義条項を変更し、ついに「本門戒壇の大御本尊」との訣別(けつべつ)を決定しました(『聖教新聞』十一月八日付)。

 平成三年に日蓮正宗宗門から破門されて以来、日蓮正宗の御本尊を変造したニセ本尊を印刷して会員に頒布(はんぷ)し、それまで邪宗教として一線を引いてきた諸宗との融和路線をとり、五座三座の勤行をも改変してきた学会が、最後の最後まで訣別を憚(はばか)ってきた「大御本尊」への信心を捨棄(しゃき)したのです。これで、学会の中にわずかに残っていた信心の歯止めも吹き飛び、際限なく大謗法が深まっていくことは確実です。

 学会から流出した内部資料によれば、学会首脳は、この「大御本尊との訣別」で一割くらいの離反者が出てもやむを得ない、と考えているようですが、このような大謗法の暴挙に九割の学会員が盲従(もうじゅう)していくとしたら大変なことです。ますます国土の謗法は色濃くなり、三災七難も深刻化していくことでしょう。

 そこで以下、七日の原田会長の発表の要旨を取り挙(あ)げ、破折を加えて、その誤りを糺(ただ)すことにします。

一閻浮提総体の大御本尊

(これまでの会則では)会員の皆さまの感情や歴史的な経緯(けいい)を踏まえ、この「一閻浮提(いちえんぶだい)総与・三大秘法の大御本尊」については、「弘安二年(一二七九年)の大御本尊」を指すとの説明を行っていました。

ここで原田会長は、「弘安二年の大御本尊」を「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」であるとしてきたのは、会員の感情への配慮と、歴史的な経緯を考慮したからだ、としていますが、とんでもない話です。

 日蓮大聖人は『聖人御難事』に

 「此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計(ばか)りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり」

 (御書一三九六頁)

と仰(おお)せられ、仏(釈尊)は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年、日蓮大聖人は立宗から二十七年(弘安二年)にして出世の本懐を遂げる、と宣言あそばされました。

 さらに、学会でも尊崇(そんすう)してきた第二十六世日寛上人は『観心本尊抄文段』に

 「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり」

 (文段集一九七頁)

と、弘安二年の大御本尊こそが大聖人出世の本懐にして、一閻浮提(全世界)の総(すべ)ての人々が信受すべき究極の御本尊である、と明かされています。

 

 それを今さら、「会員の感情への配慮だった」とか「歴史的な経緯を考慮したからだ」などと言って、この教義の根本を平気で覆(くつがえ)すとは、いったいどういう神経なのか。それでは学会は、初代会長以来、八十余年にわたり、数多(あまた)の会員を騙(だま)してきた、ということになるではありませんか。

三秘総在の「本門の本尊」とは

 日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅(まんだら)と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく「本門の本尊」であります。

 そして、「本門の本尊」に唱える南無妙法蓮華経が「本門の題目」であり、その唱える場がそのまま「本門の戒壇」となります。

この原田会長の「三大秘法」についての説明も誤りです。

 原田会長は、「本尊は全て、等しく『本門の本尊』であります」などと、わざと曖昧(あいまい)なことを言っていますが、日寛上人は『依義判文抄』に

 「一大秘法とは即ち本門の本尊なり。此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇と為(な)し、此の本尊を信じて妙法を唱うるを名づけて本門の題目と為すなり。故に分かちて三大秘法と為すなり。(中略)亦(また)三大秘法を合すれば則ち但一大秘法の本門の本尊と成るなり。故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり」

  (六巻抄八二頁)

と、「本門の本尊」とは三大秘法総在の「本門戒壇の本尊」であると明かされています。つまり、弘安二年の本門戒壇の大御本尊以外の本尊は、三大秘法の総てを含む意義を持たない(※その理由は、次に引く『折伏教典』の「戒壇」についての説明を読めば、わかります)ので、「全て等しく本門の本尊」とは言えないのです。

 ゆえに、学会でも『折伏教典』(※昭和四十年発行)の中に

 「日蓮大聖人は、出世の本懐としての大御本尊をご建立になり、弘安五年、ご入滅に先だって、御弟子日興上人にすべてをご相伝なされた。(中略)

 戒壇とは、広宣流布の暁(あかつき)に本門戒壇の大御本尊を正式に御安置申し上げる本門の戒壇、事の戒壇である。(中略)

 題目とは、この大御本尊を信じ奉(たてまつ)って南無妙法蓮華経と唱え、折伏することである。(中略)

 この大御本尊に対して信心修行に励むところに、成仏得道の道があるので、他には絶対ないのである」(総論・第六章・第三節)

と解説して、大聖人出世の本懐たる「本門戒壇の大御本尊」のみを三大秘法総在の「本門の本尊」とし、「他には絶対にないのである」と断じていました。

 

 これが草創期からの学会の教義だったのであり、全ての御本尊を「本門の本尊」である、と強調した原田会長の誤りは明らかです。

大御本尊を離れたら謗法

ある場所に特定の戒壇があり、そこに安置する御本尊が根本の御本尊で、その他の御本尊はそれにつながらなければ力用(りきゆう)が発揮されないという、あたかも〝電源と端子〟の関係であるかのような本尊観は、世界広宣流布が事実の上で伸展している現在と将来において、かえって世界広布を疎外(そがい)するものとなりかねないのであります。

大石寺と大御本尊を否定したいからとはいえ、ずいぶん思い切ったことを言ったものです。この原田会長の説は日蓮大聖人の御遺命に真っ向から違背しています。

 大聖人は『身延相承書』において

 「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」

 (御書一六七五頁)

と仰せられ、広宣流布の暁には富士山下に一切衆生の信仰の中心地たるべき本門戒壇を建立せよ、と御遺命あそばされました。そして、その本門戒壇に安置すべき御本尊を、弘安二年十月十二日に御図顕あそばされ、その脇書にはっきりと

 「本門戒壇」(富士宗学要集八巻一七七頁)

と示し置かれたのであります。

 この本門戒壇の大御本尊こそ、「一閻浮提総体の本尊」(前出)と仰せのように、全世界の総ての人々が信仰すべき御本尊ですから、その他の、各個人等に与えられた数多の御本尊は、戒壇の大御本尊から分身した一分一分の御本尊に当たることは明らかです(もし、これらの御本尊が、「一閻浮提総体の本尊」から離れてしまったら、その存在意義を失います)。

ゆえに、学会の『折伏教典』にも

 「この大御本尊に直結したお曼荼羅を拝(おが)む信仰でなければ、絶対に功徳もなく、ましてや、生命の本質をつかんで仏の境涯に立ち、永遠の生命を感得することなどは、とうてい望めないことである。(中略)

 ちょうど電灯にたとえて考えてみると、ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光を発しないようなもので、電球は本物であっても電流が流れてこなければ光が出ないのである。

 御本尊が大聖人の御真筆であっても、大御本尊に直結しなければ何の功徳もないのである。したがって、富士大石寺の大御本尊を拝まない者はすべて謗法である」(各論・第三章五)

と明記されていました。

 これを見れば明らかなように、原田会長の本尊観こそ、大聖人・日寛上人そしてかつての学会教学によって、木(こ)っ端(ぱ)微塵(みじん)に粉砕されています。

 重ねて言いますが、本門戒壇の大御本尊とつながらない御本尊には、絶対に功徳はなく、これを拝む者は謗法となるのであります。

会員のみなさん、

これでも学会を信じるのですか!?

 

 

学会の流布は正法の破失

法主詐称者の出現によって、永遠に法主が不在となり、宗門のいう法主の血脈なるものも断絶しました。大石寺はすでに大謗法の地と化し、世界広宣流布を目指す創価学会とは全く無関係の存在となったのであります。

まことしやかに述べていますが、かつて、第六十六世日達上人から日顕上人への血脈相承を疑い、「法主詐称である」と誹謗していた正信会の徒輩(とはい)に対し、学会は何と言っていたでしょうか。

 「日顕上人は五十三年四月十五日、先代法主の日達上人から血脈相承を受け、五十四年七月二十二日の日達上人御遷化(せんげ)に伴(ともな)い、第六十七世法主・管長に就任。以来一年半にわたり、彼ら(正信会)も日顕上人を法主と仰いでいたのである。また、彼ら自身、法主の地位や血脈相承に異を唱えることは甚(はなは)だしい謗法なのである、と断じていたのである。」(『創価新報』昭和五十八年四月二十日付)

 日顕上人の御登座から、「一年半」どころか十二年間もの長きにわたって、日顕上人を法主として仰いできていながら(また、その間、日顕上人への血脈相承を疑った正信会を大謗法と責めておきながら)、いざ日顕上人から学会の誤りを指摘されるや、猛反発し、あげくは正信会と同様に日顕上人への血脈相承を否定する――御都合主義も甚だしいではありませんか。

 そのような無節操にして無信心な学会が、いかに「世界広宣流布を目指す創価学会」などと言ってみたところで、それは日達上人が

 「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります」(『大日蓮』昭和四十九年八月号)

 「日蓮正宗の教義でなし、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、決して、我々は喜ぶべきでないし、大聖人がお喜びになるとは思いません。むしろ正宗の精神がなくなってしまった、消滅してしまったということになるので、非常に悲しいことであり、我々の責任は重大であります」(『大日蓮』昭和四十九年八月号)

と仰せのように、邪義邪信の流布でしかなく、大聖人の仏法を滅ぼすことにしかならない、と知るべきでありましょう。

学会内には仏罰の現証が続出

魂(たましい)の独立以来、学会員は皆、大石寺に登山することなく、弘安二年の御本尊を拝することもなかったわけであり、各人の御本尊に自行化他にわたる題目を唱えて絶大なる功徳を受け、宿命転換と人間革命を成就し、世界広布の拡大の実証を示してきたのです。まさに、これが会員が実践し、実感しているところなのであります。

戒壇の大御本尊から離れても功徳がある、と言い、また、そのように会員にも思い込ませたいようですが、日蓮大聖人は『諫暁八幡抄』に

 「一分のしるしある様なりとも、天地の知る程の祈りとは成るべからず。魔王・魔民等守護を加へて法に験(しるし)の有る様なりとも、終(つい)には其の身も檀那も安穏なるべからず」

 (御書一五三一頁)

と仰せられ、邪義邪信にも、魔の加護によって一分の利益はあるが、ついにはその身が安穏安泰では済まなくなる、と指摘されています。

 日蓮正宗から破門となり、戒壇の大御本尊と遠離(おんり)してからというもの、この大聖人の御金言どおり、学会幹部の中には、ガンによる若死に、悲惨な事故死、病苦、経済苦などが渦巻いているではありませんか。よくよく周囲を見渡して、多くの学会員が何を「実感しているか」心静かに考えてみるべきであります。

 なおまた、この発表の冒頭で原田会長は、「お元気な池田先生・奥様と共に、晴れやかに」云々と言っていますが、池田センセーが脳に重大な障害をきたし、まったく「お元気」でないことは、今や大多数の会員が内心、知っているところであり、現今の学会には「絶大な功徳」どころか大きな仏罰がある、ということは明らかでありましょう。

勝手な本尊認定は不相伝の証

創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅(ぶっちょく)の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。

(中略)大謗法の地にある弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません。

これが原田会長の言わんとする結論ですが、そもそも、「御本尊を認定」するなどという発想自体が、自分が御本尊以上の存在になっている、ということに気付かないのでしょうか。そのような思い上がったところに信仰は成立しません。

 なおまた、「広宣流布のための御本尊」についても、今さら原田会長らに「認定」してもらわなくとも、日寛上人の『文底秘沈抄』に

 「富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり」

  (六巻抄六八頁)

と御示しのように、すでに日蓮大聖人御自らが、広宣流布の根源の御本尊として本門戒壇の大御本尊を定め置かれているのであります。

 この大御本尊を離れて他の御本尊に心を移す行為について、学会の『折伏教典』には

 「三大秘法抄、観心本尊抄等の御文に照らして拝察するならば、勝手な御本尊を拝むことが大きな誤りであることが、はっきりわかるのである。これは不相伝なるが故に仏法の深義に迷うのであって、不相伝家はみな本尊に迷うということができる」(各論・第三章五)

と破しています。

 したがいまして、本門戒壇の大御本尊を受持信仰しないと表明し、勝手に他の御本尊を「広宣流布のための御本尊」に認定するという原田会長は、仏法の深義に迷う謗法者であり、不相伝の創価学会は本尊に迷っている、というべきであります。

 学会員の皆さんには、今こそ真実を見極め、日蓮大聖人が定められた本門戒壇の大御本尊のもとへ戻られるよう、念願する次第です。

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