正義顕揚の年にあたって 茨城県取手市・法悦院


正義顕揚の年にあたって 茨城県取手市・法悦院

功徳に浴し、活気漲る講中
熱き心意気で御命題達成に向かう

法悦院は、茨城県の最南端、利根川を挟んだ千葉県との県境にあたる取手(とりで)市に、昭和五十七年十一月九日に創建され、今年で二十七年目を迎える。
当時、同市の東に位置する竜ヶ崎市の要蔵寺が正信会の徒輩に占拠されたことにより、近隣信徒の拠り所となる末寺が不在という状態が長く続いていた。そのような状況を憂慮された第六十七世日顕上人猊下が、取手の地に大石寺出張所(教会)設立を発願され、総本山が主体となって法悦院が創建されたのである。
初代御主管には松岡慈親御尊師、さらに昭和六十三年に第二代御主管として浦上然道御尊師、そして平成十三年に第三代御主管として渡部信法御尊師を迎えて、今日に至っている。
法華講支部が結成されたのは、平成三年秋のこと。創価学会の謗法化が露呈したと同時に純粋な信仰を求める信徒が集い、県内他寺院に先駆けての結成であった。
その当時の法華講は、わずか三十世帯弱の人員であったが、以後、歴代御主管の指導のもとに死身弘法の折伏が展開され、十八年を経過した現在は、約三百世帯・六百名の陣容となっている。
第二代御主管の浦上然道御尊師は、法華講支部の結成にあたって、スローガンを「させていただく素直な信心」と明示され、講員に対しては事あるごとに、〝信心は正直で素直でなければならないこと〟〝御法主上人猊下の御指南が信心の基本であること〟を訴えられ、「師弟相対・僧俗和合の信心」「御報恩謝徳の信心」を指導された。
そして、いつまでも初心を忘れないように、との想いにより、講中結成から五年を経過した平成八年『法華講法悦院支部 五年の歩み』(五百二十二頁の講史)を上梓(じょうし)、講中結成の因縁と、結成当時の法悦院法華講支部の熱き思いを記録に残されたのである。
現在の御主管である渡部信法御尊師は、八年前、折しも「三十万総登山」を翌年に控えた平成十三年十二月に赴任され、その目標達成を前御主管から託された形となった。
渡部御主管は、赴任早々、「三十万総登山」の支部目標五〇〇名を必ず達成していく旨を、講員に強く指導された。そして、三十万総登山実行委員として、折伏班と家庭訪問班の二つのチームを設け、少しでもやる気のある人はどんどん実行委員に任命した。
そうした御主管の熱い指導のもと、赴任間もないにも拘(かか)わらず、御主管と講員は一丸となって折伏や登山啓蒙に取り組んだのである。結果、登山者数は目標を大きく上回って達成、布教区の中ではトップクラスの実績をみることができた。
それ以降も、各種御登山においても、また昨年の東日本決起大会においても、目標を上回って結集を果たすという快進撃を続けている。

活発な講中活動
目標達成に向かう心は一つ

講中の組織は、高橋陽一講頭、渡邉俊明副講頭、下地隆副講頭のもと、七地区四十二班で構成されている。最前線で活動する班長が、支部活動の中で大きな役割を果たしており、毎月一回、班長会が設けられている。
また、各部として、壮年部・婦人部・青年部(男子部・女子部・学生部)・少年部(鼓笛隊を含む)の他に、講頭を部長とする「折伏推進部」があり、その中では壮年部責任者と婦人部責任者が設けられ、定められた各部の目標達成のために頑張っている。
さらに、寺院の外護、清掃、寺院行事におけるお手伝い等を行なう「典礼部」と「護浄部」が設けられ、それぞれの役割を喜んで〝させていただいている〟という。
また、講中が結成されてすぐに発刊された機関誌『法悦』は、現在、二〇四号となっており、この機関誌を充実させるために「広報部」が活躍している。広報部の活動は、機関誌の発行だけでなく、折伏用資料の作成、各種会合における配布資料の作成など、多岐にわたっているという。
四者の活動としては、壮年部・婦人部は毎週、御主管の導師のもと、唱題行を行ない、とくに婦人部は、各地区ごとに担当責任者を設け、現在、地区ごとに定められた記念支部総登山の参加目標を達成するため、家庭訪問を行なっている。
「令法久住・広宣流布を考えるとき、少年部・青年部の育成は、とても大切である」との渡部御主管のお考えから、少年部会は月一回開催され、その中で、ひらがなで書き下した御書のプリントを使って法話をされる。
青年部に関しても月一回の勉強会が行なわれており、化儀に関すること、また「創価学会に対する破折」等を学んでいるという。
このように充実した講中活動の中で、法悦院の法華講員には功徳の体験も豊富で、地方部総会をはじめ各部大会等に数多く体験発表者を出している。
とくに、女子部で学生部の部長をしている加藤由美子さんは、以前、『大白法』に体験発表が掲載され、昨年の夏期講習会では「難を乗り越える信心」としてテキストにも紹介されている。その加藤さんは今、次のように語る。
「平成十九年には、御本尊様の功徳で台湾へ留学することができ、台湾の法華講の皆さんの熱意や活動に触れさせていただきました。海外の法華講の方々が総本山を渇仰恋慕する姿に、あらためて信心の姿勢を学ばせていただきました。
現在、私は学生部部長として、少年部・学生部の子供達が、どのようにしたらもっと信心に積極的になっていくのだろうと、日々考えております。そのお手伝いが少しでもできるよう、重大な節目である本年、さらに精進させていただこうと考えております。」
また、男子部長の折原健一さんは、平成十四年の入信以来、折伏に励み、昨年も三世帯の折伏を成就させている。その折原さんから、「五十万総登山」に対する決意を伺った。
「普段は面倒くさがりな私ですが、昨年において、何としても折伏をしなければ、と決意したのは、東日本決起大会を終えた直後の、七月の班長会での御住職様の一言がきっかけでした。
御住職は、折伏が滞っている状況を憂えられ、『私の許で共に折伏ができませんか。私では駄目ですか』と言われたのです。私は、御住職様にそのような言葉を言わせてしまったことに対し、本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいになりました。
入信当初の平成十四年三十万総登山の頃は、何人も折伏できたのに、一年、二年と経つうちに、いつの間にか自分の信心が惰性になっていた、と深く反省できました。それは他の班長の多くも同じ気持ちだったと思います。
そして、その日を境に、私は時間があれば折伏しました。ほかの青年部が次々と折伏を成就させていくなか、八月に入り、気持ちが焦りはじめましたが、そのような時、『目標を明確に!』という御住職様の御指導を思い出し、会社の同僚数名や、前に折伏したものの内得信仰のままだった人にターゲットを絞り、あきめず何回も何回も足を運びました。
そして、ようやく九月六日、以前から少しずつ折伏していた同僚の飯塚さんが『幸せになりたい』と言って、入信を決意してくれたのです。そのうちに、同じ地区の皆さんも、夜遅くまで一緒に折伏に歩いてくださるようになりました。本当に心強く思いました。
その甲斐もあって、十二月には真言宗の害毒で苦しんでいた同僚の寺田さん御一家六名、そして、内得信仰だった竹澤さんと、計三世帯の折伏が成就できたのです。地区としても六世帯の折伏ができました。
これも御住職様の一言があったからこそ、と思っております。」
もう一人、職業柄、普段の寺院行事にはなかなか参加できないものの、御本尊への絶対の確信をもって素直な信心を貫いているという、男子部の川村幸史さんに伺った。
「私は、八年ほど前に入信しました。
この不況の中ですが、私が営んでいる飲食店は、厳しい時もあるものの、御本尊様のおかげで、店の経営は比較的順調です。
私が入信できたのは、今は亡き母のおかげなのですが、 生前の母の信仰に対する姿や、亡くなった時の成仏の相を見て、この仏法の正しさを確信しました。
その恩深き母に対しては、毎週休みの日には必ずお墓参りをし、また、毎月、お寺で塔婆供養もさせていただいています。なかなか寺院行事に参加できませんが、その分、空いた時間のある時は、お寺に御参りして御題目をあげさせていただくようにしています。」

誓願完遂に向け決意も固く

本年、法悦院法華講の最重要課題は、支部総登山・六百名の達成と、七月二十六日の記念大総会・百八十名の達成、そして折伏誓願目標・三十世帯の達成だという。
それに向けて、毎週土曜日に各地区責任者が打ち合せを持ち、進捗状況の報告が行なわれているが、その中で互いによい刺激を与え合い、「自分の地区だけが遅れていてはならない」と、いよいよ決意を深めている。
最後に、高橋講頭に決意を伺った。
「いよいよ御命題完結の年にあたり、次代を担う広布の人材の発掘・育成に努め、組織の活性化を図り、七万五千名の大結集を果たし、五十万総登山を達成していきたいと思います。さらに、御主管様の『信心とは実践である』との真剣で暖かい御指導のもと、早期に折伏誓願目標の三十世帯の完遂を目指して精進してまいります。
渡部御主管様のもと、猊下様の御指南に信伏随従し、異体同心の信心で、必ず御命題を達成していくことを決意し、お誓いしたいと思います。」
【慧妙平成21年2月16日号より転載】