2016年1月16日


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慧妙 2016年1月16日

 

 

大石寺を詐称する 顕正会からの脱出①

 

「顕正会の本尊は偽造・偽装だ!」

 元・壮年部長が顕正会の本尊疑惑を告発

                塔中・百貫坊法華講 元・顕正会本部壮年部長     石井 伸之

                                            顕正会

 

元妙信講時代からの会員

 私は以前、大石寺の名を詐称(さしょう)する異流義教団「顕正会」に籍を置き、本部壮年部長として活動しておりました。

 その経緯(けいい)から申し上げますと、私が初めてかの教団と接触をもったのは、昭和五十一年、高校生の時に同級生からの誘いを受けてのことでした。

 当時の顕正会は、日蓮正宗から解散処分を受けていたにも拘(かか)わらず「日蓮正宗妙信講」(※)などと名乗り、日蓮正宗の正義を守り日蓮大聖人の御遺命実現を目指す唯一の団体である等と嘯(うそぶ)いていました(※当時。その後、昭和五十七年に日蓮正宗顕正会に改称、平成八年に冨士大石寺顕正会に改称した)。

 私は彼等の話を鵜呑(うの)みにし、これこそが正しい宗教と思い、入会してしまったのです。そして、そのつど腑(ふ)に落ちない出来事なども見聞しましたが、打ち消して日々の活動に没頭するうちに、平成十三年には顕正会の壮年部長になっていました。

 私は、顕正会こそ唯一正しい団体と信じ活動していましたが、やがて、信仰者とは思えないような会長・浅井昭衛の実像や、正法にあるまじき顕正会の実態を目(ま)の当たりにして、困惑する思いと、本当のことを知りたいとの思いが、日を増すごとに沸き上がりました。

 そして、調べを進める中、顕正会で発行している『顕正会の歴史と使命』が誤魔化しに満ちた作り物であることを知ったことから、「真実を知りたい!」との一念が込み上げ、思い切って平成十五年の暮れに大石寺を訪れました。

 その時、三門前で出会った百貫坊副講頭(当時)の馬渡正道氏を通じて近藤道正御住職(現・法遍寺御住職)にお目にかかり、三度にわたって折伏を受けた結果、翌・平成十六年三月十三日、二十八年間活動していた顕正会をやめ、家族そろって日蓮正宗に入信することができたのです。

 

 さて、私が目の当たりにした顕正会と浅井昭衛の実態ですが、いまだに顕正会に盲従(もうじゅう)している数多の人達のために、その主なところを拾ってまとめてみたいと思います。

 

全く相貌の異なる導師本尊に不審!?

 昭和五十年代後半のことですが、ある顕正会の会員が亡くなり、通夜と葬儀に参列しました。

 その時、私は初めて導師本尊(葬儀の際にお掛けする、故人の即身成仏を祈る特別な御本尊)を目にしました。これまで顕正会の会館や幹部宅で拝んできたのは、かつて日蓮正宗から下附されていた本尊(本来であれば、日蓮正宗から解散処分を受けた時に返納すべきが筋だが、そのまま収得してしまっていた本尊)でしたが、この時に目にした導師本尊は、「天照大神」「八幡大菩薩」の代わりに「閻魔法王」「五道冥官」と認(したた)められている等、通途の本尊とは異なる相貌(そうみょう)でしたので、初めて拝した私は大変驚きました。この導師本尊の左脇には、授与書きとして松本元住職(妙信講の元指導教師。異流義となった妙信講に加担して日蓮正宗から擯斥〔ひんせき〕処分を受けた)の名が認められていたのを覚えています。

 ところが平成十四年、会員の葬儀に行って目の当たりにした導師本尊は、かつて私が見た導師本尊とは全く違い、会館や自宅に安置された本尊と全く同じ相貌の、第五十五世日布上人が書写された御本尊を複製した本尊だったのです。

 

 不審に思った私が、その場で村松禎道(修行中に日蓮正宗から逃げ出し、顕正会に転がり込んだ元僧侶で、死亡した松本元住職の代行に収まっていた)に尋ねたところ、「今後はこの御本尊を葬儀に奉持するように、と顕正会本部からの指示があったので」と、言い訳じみた話をしていました。

顕正新聞

 

勝手に型木本尊を造り導師本尊に偽装

 後に、顕正会のニセ本尊疑惑が内外で騒がれるようになった際、浅井昭衛は、

 「松本尊能化(※元住職)は、『葬儀のときに困るでしょう』とおっしゃって、日布上人御書写の『大日蓮華山大石寺』の脇書きがある導師曼荼羅の御形木御本尊まで、六幅授与して下さったのであります」(『顕正新聞』平成十九年十月五日号)

と弁明しますが、ここで浅井のいう「日布上人御書写の『大日蓮華山大石寺』の脇書きがある導師曼荼羅の御形木御本尊」こそ、私が平成十四年に見て村松禎道に質問した、あの本尊のことでした。

 しかし前述したとおり、それは、いわゆる導師御本尊の相貌ではなく、通途に安置する御本尊の相貌でした。

 つまり、もとより顕正会には「日布上人御書写の『大日蓮華山大石寺』の脇書きがある<RUBY CHAR="導","●"><RUBY CHAR="師","●"><RUBY CHAR="曼","●"><RUBY CHAR="荼","●"><RUBY CHAR="羅","●">」などは存在しておらず、通途の御本尊を勝手に複製コピーして、六体の導師本尊に偽装していたのです。

 

 また、いかに擯斥されたとはいえ、僧侶であった松本元住職が、通途の本尊をわざわざ「導師曼荼羅」として授与するはずはありませんから、勝手に複製・偽装をなした上で、その罪を松本元住職になすり付けた犯人は、浅井昭衛その人に他なりません。何とも呆(あき)れた話ではありませんか。

 

会館・拠点にも次々と偽造本尊!

 さらに、平成十年頃から、地方会館が建ち入仏落慶式に参加するたびに、違和感を感じるようになりました。

 それは、この頃から「日布上人御書写の大幅の御形木御本尊」と称する本尊が安置されるようになったのですが、どの会館に安置されたのも真新しい全く同じ本尊でした。

 この大幅の形木本尊も、かつては存在していた形跡すらなく、突然、浅井が持ち出してきた代物で、浅井による偽造は明らかです。

 また、同時期、会員宅を拠点として提供している自宅拠点にも、「日寛上人の御形木御本尊」と称する本尊が次々と安置され、同時に、地区部長・支区部長・隊長・区長以上の幹部会員にも、この本尊が下附されました。

 私も、その時に浅井宅の仏間で、この「日寛上人の御形木御本尊」を受け取った幹部の一人でしたが、その本尊は真新しく、しかも、解散処分前からの古参幹部宅にある日寛上人の御形木御本尊を、そのまま拡大したものだったのです。

 後の浅井の弁解によれば、これも松本元住職が託してくれた、というのですが、そもそも宗門では、このような大きさの日寛上人の御形木御本尊を出していた事実はない、とのことですから、これまた勝手に拡大コピーした偽造本尊たることは明らかであります。

 日蓮大聖人は、

 「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(御書一七七三頁)

 「子にあらずんばゆづ(譲)る事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ」

   (御書七九三頁)

と仰せられ、御本尊は法華経の行者たる日蓮大聖人の御生命の当体であり、その扱いはきわめて厳格であらねばならない、と御教示くださっています。

 かくも大事の御本尊を、勝手に複製コピーして偽造・偽装する、などということは、堕地獄必定の恐るべき大謗法であります。

 

 この一点で、顕正会が大謗法団体である事は決定していますので、これをうかつに信じてきてしまった会員は、即刻、顕正会を脱会して日蓮正宗大石寺の信仰に戻るべきでありましょう。(つづく)

詐称

 

 

 

御本尊は仏の御当体、偽造・偽装は大謗法


 

 

 

 

(2面)
 
 
 

福本・小谷仁の破折対談

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      元文化本部副書記長・元芸術部書記長  小多仁 伯  

  

 

 第52回

新年を迎えて

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新年に際立った仏法の正邪

 

大聖堂に響く池田の録音音声

 

学会に搦め捕られた会員たち

 

迷走する学会から会員を救おう!

 

 

 

 

 

 

 

異流儀教団の迷妄を摧く   連載 第56回

捃捨雑記

「申年」雑感

 

異流義教団

本年を折伏が「のびる」年に!
学会首脳は〝猿芝居〟をやめよ
 
 
 
 
 
 
 
 


 

 
 
(3面)


 
 
 

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法偏重・大御本尊否定・直結

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(30)四条金吾①

 

御書から窺える四条金吾の人となり

短期だが非常に真面目な性格

四条金吾

 

 

 

 

 

 

 

顕正会員の迷いを覚醒する―

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不毛の論振り回す浅井昭衛

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(4面)

 

 

 

 

 

11
 
(第335回)

 

 

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