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慧妙 2015年3月1日号
学会の言い逃れと難癖を破折
これら大聖人の御金言と仏法の道理に刮目せよ!
創価学会が会則の教義条項を変更し、本門戒壇の大御本尊との訣別を表明してから、三ヶ月半が経過しました。
この大謗法に対し、日蓮正宗僧俗から厳しい破折がなされていますが、さすがに学会側も正面切ってのまともな反論はできず、こそこそと
〝言い逃がれのためのマニュアル〟を作り、組織内に配っています。
その内容は、言葉だけは威勢がよいものの、取るに足らない難癖(なんくせ)ばかりですが、主として「弘安二年の御本尊が根本だということを、
人師論師(※二十六世日寛上人を指すようです)の説を使わず、御書の文証だけで示せ」との主張を柱としたもの、といえます。
そこで今回は、限られた紙面ではありますが、学会の蒙(もう)を啓(ひら)くべく、宗祖大聖人の御金言によって、弘安二年十月十二日の大御本尊が
根本随一の御本尊であることを明らかにしてまいります。
全世界の人が詣でる本門戒壇
日蓮大聖人の仏法は三大秘法に尽きますが、そのうちの本門の本尊と題目については、多くの御書に説かれています。
しかし、本門の戒壇については、名称は諸御抄に挙げられていても、その意義・内容等は長きにわたって説かれませんでした。
それが説かれたのは、大聖人御入滅の半年前、弘安五年四月八日の『三大秘法抄』においてです。少々長くなりますが、その箇所を引用します。
「戒壇とは、王法仏法に冥(みょう)じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくびく)の
其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて
戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提(いちえんぶだい)の人懺悔滅罪の戒法のみならず、
大梵天王・帝釈等も来下(らいげ)して踏(ふ)み給ふべき戒壇なり。」
(御書一五九五頁) すなわち、本門の戒壇とは「霊山浄土に似たらん最勝の地」に建立され、やがて広宣流布が成(な)った時には、
そこに「一閻浮提(全世界)の人」が参詣して懺悔滅罪を祈るべき大道場である、ということが明らかです。
そして、その戒壇の在所となる「霊山浄土に似たらん最勝の地」が何処(どこ)か、については、同年九月の『一期弘法付嘱書』に
「日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱(ふぞく)す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、
富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂(い)ふは是なり」
(御書一六七五頁)と、「富士山」であることが明示されています。
以上のように、日蓮大聖人が示された本門戒壇とは、富士山麓に建立される、一閻浮提の人々が懺悔滅罪を祈るべき大道場であります。
本門戒壇に安置される御本尊
では、その本門戒壇には、いかなる御本尊が安置されるのでしょうか。
本門の本尊を抜きにして、本門の戒壇だけが建つことはありません(御本尊がなくては、一閻浮提の人々が参加しても、祈る対象がないことになります)
から、本門戒壇に安置し奉る御本尊がなくてはなりません。そして、大聖人御自ら、一閻浮提の人々が本門戒壇に詣(もう)でることを究極の大理想として
御示しになった以上、そこに安置し奉る御本尊を顕(あら)わされるはずであります。
かくして、大聖人が御在世に顕わされた御本尊百二十数幅を拝してみると、弘安二年十月十二日に顕わされた御本尊の脇書にのみ、「本門戒壇」の文字が
認(したた)められています。
よって、この弘安二年十月十二日の御本尊こそ、本門戒壇に安置し奉るべき大御本尊であることが明らかです。
創価学会では、何としてもこれを否定したいらしく、「本門戒壇」の脇書について
「それは大聖人の御真跡ではないのではないか。大聖人が本門戒壇だと明示されたことを立証するものではない」
等の言い掛かりをつけていますが、もし本気でそれを言いたいのなら、弘安二年十月十二日の大御本尊以外に、大聖人が「本門戒壇に安置すべし」と
指定された御本尊を出すべきであります。ですが、そのような御本尊は他に全く存在しません。
つまり、学会の言い掛かりのごとくなら、大聖人が本門戒壇に安置すべき大事の御本尊を顕示されなかったことになってしまい、大聖人を片手落ちの仏と
冒涜(ぼうとく)することになるのであります。
戒壇の大御本尊は「総体」「根本」
さて、この本門戒壇に安置し奉る大御本尊は、前掲の『三大秘法抄』に示されるとおり、一閻浮提の総ての人々が懺悔滅罪・即身成仏を祈るべき
御本尊です。その他の御本尊が、授与された個人(もしくは複数の檀信徒)のための御本尊であること等からすれば、本門戒壇の大御本尊は「総体」、
他の御本尊はその「一分」に当たる、ということになります。
ゆえに、本門戒壇の大御本尊は、あらゆる御本尊の「総体」にして「根本」の御本尊であり、この大御本尊から離れてしまったら、他の「一分」あるいは
「枝葉」に当たる御本尊は、その存在意義を失ってしまうのであります。
これは『三大秘法抄』の御金言から導き出される当然の帰結ですが、学会では、なおも「弘安二年の御本尊から離れたら、他の御本尊の存在意義も
功徳もない、ということの文証を出せ」などと言っています。まさに、道理のわからなくなった闇者の世迷い言であり、稚児にも劣る戯言(たわごと)というべきで
ありましょう。
本懐中の本懐に当たる大御本尊
さて、大聖人は、一閻浮提の人々が帰依(きえ)し参詣する本門戒壇を究極の大理想として示されましたが、ならば、その本門戒壇に安置し奉る大御本尊を
建立することは、大聖人一期の御化導における最重要事(すなわち出世の本懐)のはずです。
その「出世の本懐」について御金言を繙(ひもと)いてみますと、まず文永十二年三月十三日の『阿仏房御書』に
「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。(中略)出世の本懐とはこれなり」(御書七九三頁)
と仰せられ、「宝塔」すなわち大聖人が顕わす曼荼羅御本尊をもって「出世の本懐」とされています。
さらに、弘安二年十月一日の『聖人御難事』には、
「此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年己太卯歳なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。
其の中の大難申す計(ばか)りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり」 (御書一三九六頁)
と仰せられて、立宗より二十七年目にあたる今(弘安二年十月)こそ出世の本懐を遂げるのである、と宣言あそばされています。
前の『阿仏房御書』では、大聖人出世の本懐を御本尊であると仰せられ、その上で、さらに「余は二十七年(にして出世の本懐を遂ぐる)なり」と
示されたのですから、数多(あまた)の御本尊の中でも弘安二年十月付近に、本懐中の本懐ともいうべき大御本尊が建立あそばされていることは
明らかです。
しかして、それに相応(ふさわ)しい御本尊が、まさに「本門戒壇」の脇書を持つ弘安二年十月十二日の大御本尊であることは、申すに及びません。
学会は大御本尊の信仰を退転
学会では、これについても「御書には、弘安二年の御本尊が出世の本懐である、などと書かれていない」とか、「御書によれば、全ての御本尊が
出世の本懐であり、弘安二年の御本尊のみが出世の本懐とはいえない」等と言っていますが、ここまで明らかな御金言と道理を示されても、
本当に理解できないというのであれば、それは、もはや当人の程度の問題(子供以下の日本語能力しかない、ということ)であります。
そんな連中には、「池田大作センセーが永遠の指導者だとか、創価学会が仏意仏勅の広宣流布の団体だとは、御書には一箇所も書かれていない
ではないか」とでも言っておけば十分でありましょう。
ともあれ、弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊こそが、一閻浮提の人々の信ずべき、全ての御本尊の「総体」「根本」に当たる御本尊であり、
大聖人出世の本懐中の本懐であることは、以上のとおり御金言によって明白です。
この大御本尊に対する信仰を退転し、剰(あまつさ)え自家製ニセ本尊を「一閻浮提総与の御本尊だ」などと僭称(せんしょう)している謗法者が、
未来永劫に地獄に沈むことは必定(ひつじょう)であります。
学会員の皆さんが、一日も早く正しい信仰に立ち還(かえ)ることを祈ります。
(2面)
創価学会は昨年十一月、本門戒壇の大御本尊との訣別を表明して以降、日蓮正宗からは激しい破折を受け、学会内部からは現在の路線に対する
批判が噴き出して、もはや正面きっての反論もできず、信仰的には末期状態に陥(おちい)っている。
おそらく今後は、真の信仰を探求する少数の学会員は脱会し、後には思考を停止して盲従する学会員と、その利権の上に胡座(あぐら)をかく首脳陣が
残り、もはや信仰など何でもよく、公明党の集票活動と財務の集金だけを目的とする組織となり果てていくであろう。信仰者の団体としての創価学会は
終わった、というべきである。
さて、内外からの批判に火だるま状態となっている学会は、悪あがきのような反論(※会員の目を欺〔あざむ〕くゴマカシ)を試みている。
その主な主張については本紙一面で粉砕しているので、ここでは、その余の反論(ゴマカシ)を破しつつ、さらに学会の変質に鉄槌を加えておく。
「受持しない」信仰退転の宣言
まず、大御本尊との訣別を表明した、〈弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません〉
との原田会長の発表につき、学会では「受持の対象としないからといって、弘安2年の御本尊を信ずる対象にしないということではない。実際に拝む対象と
しないだけのことである」などという詭弁(きべん)を弄(ろう)している。
だが、こんな論法を考えつく輩(やから)は、そもそも言葉の意味が解(わか)っていない。「受」とはこれまで信じていなかった御本尊への信仰を受け入れ、
「持」とはその信仰をよく持続する、という意味であることくらい、これまで信仰してきた者なら誰でも知っていよう。ゆえに日蓮大聖人も、この趣旨で
「受くるはやす(易)く、持つはかた(難)し」(御書七七五頁)と仰せられているのだ。
ゆえに「受持の対象としない」ということは、本門戒壇の大御本尊を信ずるのを止(や)めた、かつて持(たも)ってきた信仰を退転した、ということに
他(ほか)ならないのである。
信ぜず行じなければ誹謗背反
次に、本紙(一月十六日号)が、『戒体即身成仏義』の
「謗と云ふは但口を以て誹(そし)り、心を以て謗(そし)るのみ謗には非ず。法華経流布の国に生まれて、信ぜず行ぜざるも即ち謗なり」(御書一〇頁)
との一節を引いて、「口や心で誹謗(ひぼう)していなくても、大御本尊を信じ行じていないこと自体が誹謗背反である」と断じたことに対し、学会では
「見当違いの文証を引いている。この御書は弘安二年以前の述作であり、弘安二年の御本尊について書かれたものではない」などとごまかしている。
本紙は、「受持しない」「信じ行じない」という行為について、「それ自体が誹謗背反である」と述べたのであって、この御書が「弘安二年の御本尊について
述べたもの」などと言っていないのだから、これでは全く議論が噛(か)み合っていない。だから、ごまかしだというのである
(※そう指摘されても分からないとしたら、かなり害毒で頭が汚染されている、としか言いようがない)。
ついでに言っておけば、『戒体即身成仏義』を引かずとも、十四誹謗の中に「不信」「懈怠(けだい)」がある以上、大御本尊を信仰しないだけ、拝まないだけ、
誹謗はしていない、などという言い逃がれは通用しない。正法を信ぜず、行じないことは、それ自体が「誹謗」に当たり、無間地獄に沈むのである。
邪宗は時代によって根本が変わる
次に、大御本尊との訣別は過去の歴代会長の指導とも矛盾(むじゅん)する、との批判に対し、学会は「時代状況が変わっているのに、過去の指導が現在
にもあてはまるというのなら、学会を賞賛した過去の歴代法主の発言は、現在においてもあてはまると認めるか」等とすりかえている。
およそ、個人や団体の在り方に対する評価が時と共に変わろうとも、信仰の根本の対象となる本尊については、いかに時代状況が変わっても
不変でなくてはならない。根本となる本尊が時代状況によって変わるのを「邪宗教」というのだ。かつて学会では、立正佼成会の本尊の定義が変わった
ことを、そのように厳(きび)しく批判していたではないか。
こんなことまで指摘してやらねばならないことに、本当に哀(あわ)れさを感じてならない。
正本堂解体への誹謗が』崩壊
さて、今回の教義変更で、原田会長は
〈ある場所に特定の戒壇があり、そこに安置する御本尊が根本の御本尊であるかのような本尊観は、かえって世界広布を阻害(そがい)するものと
なりかねない〉(趣意)と述べたが、ここにも重大な問題が潜(ひそ)んでいる。
すなわち、学会ではこれまで、大石寺にあった正本堂を御遺命の本門戒壇である、と強弁し、これを解体したから日蓮正宗は大謗法である、などとしてきた。
だが、このたびの原田会長の発表によれば、「ある場所に特定の戒壇がある」という考え方は、そもそも「世界広布を阻害するもの」で、じつは全ての
本尊安置の処(ところ)が「そのまま本門の戒壇」であった、というのだ。
これにより学会は、正本堂という特定の建物を本門戒壇とする従来の主張を放棄することになり、これまで日蓮正宗(および正本堂解体の御英断を
下された第六十七世日顕上人)を大謗法呼ばわりして、八〇〇万学会員の憎悪を煽(あお)ってきた最大の論拠が、じつは手前勝手なコジツケであったこと
を、自ら表明したことになる。
宗教団体として、これほどのデタラメがあろうか。かの霊友会、佼成会、身延でも、ここまでの無節操な主張を展開した宗教は皆無であろう。
これまで、学会本部の宣伝に乗せられ、日蓮正宗および日顕上人を憎悪してきた学会員諸氏よ、あなた方はいいように騙(だま)され、操られてきたのだ。
それに気付くべきである。
「御本尊は全て同じ」は池田から!
最後に、今回の教義変更(大御本尊との訣別)について、〈これは池田先生の意志に反して原田会長らが暴走したものだ〉
と、池田名誉会長の信心を信じている人達に伝えておきたい。
「日蓮大聖人の御書のとおりに実践しておるのは、創価学会でございます。否、創価学会しかない。もはや御本尊は全部同じです。
どの御本尊も同じです。」
これは原田会長の発言ではない。昭和五十二年一月の元旦勤行における池田大作のスピーチであり、いわゆる第一次学会問題の端緒となった
大謗法発言である。
ここで池田は明確に「もはや御本尊は全部同じです」と言って、本門戒壇の大御本尊の意義を否定し、日蓮正宗に宣戦布告している。その後、
第六十六世日達上人の破折により池田創価学会の反逆はいったん挫折(ざせつ)したかに見えたが、結局、その謗法の心根は改まることなく、
再び今日の大謗法化を招いたのである。
よって今日の創価学会の根本的な変質、御本尊は全て同じであるとした大御本尊との訣別表明も、全ては池田大作の撒(ま)いた種であったことが
明らかである。
されば池田を信ずる会員諸氏が、いくら期待しても、池田が原田らを諫(いさ)めて路線変更することもなければ、純真な会員が池田と共に師弟不二で
正信の道を歩む、などということもありえない。すべては池田創価学会に騙されてきた、会員諸氏の夢想にすぎないのである。
学会員各位の一日も早い覚醒(かくせい)を望むものである。