いまだに正本堂に執着する池田
正本堂なき今も〝私が本門事の戒壇を建立〟と
池田が自ら日顕上人の御英断の正しさを証明
立正安国論正義顕揚七百五十年を迎えた本年、各塔中坊の建て替え工事も終わって総本山境内はより荘厳となり、万全の体制をもって慶事の時を迎えている。
さて、十二月二十六日付『聖教新聞』掲載の池田スピーチの中に
「創価学会第二別館には、正本堂建立の際の賞与御本尊が御安置されている。きょうは、その意義について申し上げておきたい。この御本尊には、『昭和四十九年一月二日』の日付とともに、『賞本門事戒壇正本堂建立』『法華講総講頭 創価学会会長 池田大作』と、日達上人の筆で認(したた)められている。『本門事の戒壇』たる正本堂が、わが創価学会の尽力によって建立された功労が、厳粛に留められた御本尊である。来る一月二日で、この御本尊の授与から、三十五周年となる」
とある。
ここで池田のいう賞与本尊とは、昭和四十八年頃より創価学会が紙幅常住御本尊を勝手に模刻して会員に拝ませた、いわゆる「本尊模刻事件」の中で取り沙汰された一躰である(模刻とは、大聖人御図顕の御本尊や、御歴代上人が書写された紙幅の御本尊を、板に御謹刻申し上げること。むろん御法主上人の許可を得て開眼供養をいただけば「模刻」自体は謗法ではないが、勝手に複製模刻した本尊は大謗法であり、正しい本尊ではない)。
この模刻本尊は、昭和五十三年、学会が誤りを認めて総本山に納めているから、現在、創価学会第二別館には、紙幅の本尊が安置されているものと思われる。もしこれが、再び模刻した板本尊を安置しているのであれば、まったく無慙無愧(むざんむき)の極み、とんでもないことである。
さて、前記の池田の発言には、今もなお正本堂に執着し、正本堂建立の功績にすがり付く心根が看(み)て取れる。破門後二十年近くが経過し、すでに正本堂が無くなって十年が経つ今も、なおこのような発言をするのだから、池田がどれほど正本堂に未練・執着を持っているか、わかるだろう。
要するに池田は「大聖人ですら果たせなかった本門戒壇建立の御遺命を自分が果たしたのだ」「自分こそ、この偉業を成し遂げた法華経の行者である」と言いたいのである。
そもそも池田の言うこの賞与本尊の脇書・裏書に関しては、当時において様々な経緯があった。過去の創価学会の誤りを知るためにも、もう一度ここに記すことにしよう。
まず、正確にいうと、脇書には「賞本門事戒壇正本堂建立 昭和四十九年一月二日」と認められ、裏書には「此の御本尊は正本堂が正しく三大秘法抄に御遺命の事の戒壇に準じて建立されたことを証明する本尊也 昭和四十九年九月二十日 総本山六十六世 日達 在判」と認められている。とくに、この裏書については、当初なかったものを、池田の強い要望があって書き足したものである。
この裏書について、御隠尊日顕上人は、
「脇書の中の『事の戒壇』とは、前来述べる日達上人御指南のごとく、現時における事の戒壇であり、したがってその意味は、本門戒壇の大御本尊を正本堂へ奉安する故です。また、裏書では、一往『三大秘法抄』の事の戒壇のようにも取れますが、『準じて』の字よりすれば、やはり、直ちにそのものを表わす意ではないと拝します。この『準じて』とは、特に日達上人の御意志として書かれたのです。辞書によれば、この『準』の字の意には、たいらか、のり、ならう、なぞらう、のっとる、ひとしい、おしはかる等があり、さらに、准と擬の字に通じるとあります。したがって、この文字の最も通常的用法では、ならう、なぞらう、であり、すなわち本物に準ずる、あるいは似つかわしい、似ている、との解釈が一般的であります。ゆえに、この文は、『正しく三大秘法抄の戒壇になぞらえて建立する』との意味です。つまり、『準』の字は、やはり、そのものが将来、直ちに『三大秘法抄』の戒壇となるとは断定できないことを示されたものと拝します。その理由として、もし、正本堂が広宣流布の暁に、ただちに『三大秘法抄』の戒壇となる、と思われたならば、特に『なぞらう』『似つかわしい』等の意味をもつ『準』の字をわざわざお書き入れになるはずがなく、『此の御本尊は正本堂が正しく三大秘法抄に御遺命の将来における事の戒壇として建立されたことを証明する本尊也』と認められたと思います」
と御指南くださり、「準じて」の語義より「正しく三大秘法抄の戒壇になぞらえて建立する」との文意であることを明かされ、「将来、直ちに『三大秘法抄』の戒壇となるとは断定できないことを示されたもの」と正釈されている。
その証拠に、当時の記録によると池田大作は、はじめ裏書を「此の」御本尊は、正本堂が正しく三大秘法抄に御遺命の事の戒壇為ることの証明の本尊也」とするよう、原稿まで作って日達上人に申し入れたが、日達上人はこれを拒否された。そして、御苦心されて、裏書を『此の御本尊は、正本堂が正しく三大私法抄に御遺命の事の戒壇であることを願って建立されたのを証明する本尊である』との文意にすることにされ、これを実際に認められる段階で「準じて」との語を使われたのである。したがって、「準じて」の語は、願って、ならって、なぞらえて等の意味であることが明らかである。
このように、正本堂建立当時より、池田の正本堂に対する思い入れには異常なものがあり、正本堂が地上から消滅して久しい今もなお、「『本門事の戒壇』たる正本堂が、わが創価学会の尽力によって建立された功労が、厳粛に留められた御本尊である」などと述べて、正本堂が本門事の戒壇であると強弁しているのである。
自らの功績を会員に知らしめんがために、日達上人と日達上人書写の御本尊を利用し、本門戒壇に関する重要法義にまで容喙(ようかい)する池田の言動は、慢心以外の何物でもないが、正本堂が存在しない今、池田がいくら正本堂のことを語ろうとも、単なる空論でしかなく、過去にすがり付く心根に哀れさだけが漂っている。
【慧妙 平成21年1月16日号より転載】