学会員の皆様へ最終警告 慧妙 2015年2月1日号


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慧妙 2015年2月1日号

 

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大御本尊を捨てる者の果報は

頭破七分です!

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大御本尊を「ただの物」と否定した池田名誉会長の末路

 

あなたも‟生ける屍“となりたいですか?

 

 すでに本紙で繰り返し報じているとおり、創価学会は昨年十一月、重大な教義の変更を行なった。

すなわち、これまで根本の御本尊として信仰してきた、

日蓮大聖人出世の本懐たる弘安二年十月十二日御図顕の「本門戒壇の大御本尊」を、

「今後は受持の対象としない」として、捨て去ることを決定したのである。

 このことは、かつて学会の『折伏教典』で

[富士大石寺の大御本尊を拝まない者は、すべて謗法である]

と述べていたとおり大謗法の所業であり、頭破七分の果報を招くことは疑いがない。

 「頭破七分の果報」とは、創価学会員に対する脅(おど)しとして言っているのではなく、厳然たる証拠が存するのである。

 すなわち、創価学会において「永遠の指導者」と崇(あが)められる池田大作名誉会長―「永遠の指導者」というからには、

創価学会の信仰をする者全てにとってのお手本であり、「学会を信仰していけば最後はこうなる」

というべき模範的信仰者のはずである―その池田が、今から二十二年前、

 「本門戒壇・板御本尊が何だ! 寛尊は『信心の中にしか本尊はない』と。ただの物です」(平成五年五月七日)

などと発言し、全学会員に先駆けて「本門戒壇の大御本尊」への信仰を捨て去り、

頭破七分の果報を受けているのである。

 以下、その事実について述べる。

 今からおよそ五年前の平成二十二年五月を境に、突然、創価学会のトップである池田大作が人前から姿を消した。

 学会内では、会長が「お元気な池田センセーと会ってきた」と発言したり、

「名誉会長は執筆で忙しくて会合に出てこられない」とか、

「名誉会長は後進の人材を育てるために自ら身を引いて見守っている」など、まったく説得力に欠ける説明がなされている。

 だが、この五年間、一度たりとも、池田の実際に歩く姿や、肉声による指導・メッセージが、

一般会員の耳目(じもく)に触れたことはない。

 本紙では、学会機関紙に掲載されている池田の写真や状況から判断して、

池田は糖尿病に加えて重大な脳障害を発症し、もはや自力で立つことも歩くこともできず、

まともな会話もできない状態に陥(おちい)っている、と報じてきた。


もし池田名誉会長が本当に元気だとしたら・・

 

恩師に背き仏法者としても失格!

 

 これを否定するには、生の池田が、公の場に歩いて登場するなり、

肉声で(ビデオでもよいが)スピーチを行なうだけで十分だが、

たまに出てくるのは、呆(ほう)けた表情で笑みすら失った不気味な写真や、

限られた代表幹部と共に勤行のポーズを取った写真、離れた自動車の車窓から海外メンバーの方を向いている写真など、

不自然な静止画像ばかり。これでは本紙の指摘が裏付けられるだけである。

 もし本当に、池田が元気だというなら、このように長期にわたって人前から姿をくらまし、

死亡説すら囁(ささや)かれるほど周辺情報を隠蔽(いんぺい)することが、

晩年の宗教指導者のあるべき姿なのか、との疑問が起きる。

 それを考えるために、池田が「恩師」と仰(あお)ぐ創価学会第二代会長・戸田城聖氏の晩年を振り返ってみよう。

 戸田氏は昭和三十三年四月二日に逝去(せいきょ)するが、その一年以上前から、

戦時中の獄中生活で痛めた体に、日頃の激務と、大量の飲酒が重なって、重い肝機能障害を患(わずら)っていた。

 むろん、過度の飲酒についての批判はあるが、そのような体調であっても、

会長として、また法華講大講頭として、願業であった七十五万世帯の折伏を達成し、

昭和三十三年の正月には初登山、三月には大講堂の落慶法要および記念総登山と、見事にその職責を務めぬいたのである。

 そして、自らの使命を果たし終え、翌月、四月二日に逝去した。

 戸田氏の信仰については、過度の飲酒の弊害と思われる瑕瑾(かきん)があったが、

その臨終までの、我が身を厭(いと)わぬ信仰者としての生き様は、

多くの人が賞賛するであろう。少なくとも、人々の前から姿をくらまし、平然と何年も過ごしている池田とは大違いである。

 また、日蓮正宗第九世日有上人の『化儀抄』には、

 「当宗は折伏の宗なる故に、山居・閑居、宗旨に背(そむ)く云云。然(しか)れども、

付弟を立てて後は宗旨の大綱に背かず云云」 (聖典九八二頁)

すなわち、末法濁世の中で折伏を貫いていかねばならない当宗においては、

折伏の第一線を離れて姿を隠す、などということは(後継者にバトンタッチした場合以外は)宗旨に背くものとして、厳しく戒められている。

 この点からも、池田が壮健であるのに公の場に姿を現わさないとしたら、仏法指導者としては失格である。

 しかし、これらは、池田が本当に元気だとしたら、との仮定の上での話であって、

実際の池田の近況は、頭破七分した〝生ける屍(しかばね)〟であることは間違いない。

それは、まさに「本門戒壇の大御本尊」を捨てた果報なのである。

 しかして、今、教義の変更によって、創価学会そのものが大御本尊への信仰を捨てることを表明した。

これに盲目的に従う学会員は、まさしく「今日は他人の身の上、明日は我が身の上」で、

池田と同様に頭破七分の果報を招くこととなろう。

 

 

 学会員諸氏よ、口先で「師匠が地獄に行ったら自分も付いて地獄へ行く」などと強がっている場合ではない。

頭破七分することを怖(おそ)れるなら、一日も早く創価学会と訣別して、大御本尊の御もとへ戻るべきである。