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2016年 5月1日
大石寺を詐称する 顕正会からの脱出③
「顕正会」の活動に嵌ってボロボロに
今、正信正行の有り難さを実感
総本山塔中・理境坊講所属妙観講 小林 太一
顕正会の狂気の実態
「浅井会長に、してやられた!」
恐ろしき顕正会の害毒
溢れ出てきた功徳の実証
姿消して六年、生ける屍となった池田大作
これに従う学会員は自らの頭破七分を畏れよ!
平成二十二年五月十三日―この日行なわれた学会の本部幹部会は、池田大作が実際の姿を一般会員の前に見せた、最後の会合となった。
そして、何の予告も説明もないまま、池田は突如として表舞台から姿を消し、もうすぐ、六年目の「五・三」を迎える。
この間、一般会員に示された池田の姿といえば、『聖教新聞』が節目節目に掲載する、妻カネとの2ショット静止写真や、わずかな最高幹部らと共に合掌する写真、それと、ほんのたまに載(の)る、文字で動向を伝える小さな記事だけだった。
しかも、掲載された池田の写真たるや、妻のカネとは対照的に全くの無表情で、目の焦点が合わず、足も棒のように痩(や)せ細った、動きも何も感じられない不自然な写真ばかり。
そんな状態を六年も続けていながら、学会本部から会員にアナウンスされる説明ときたら、「池田センセーは執筆に忙しくて会合に出席する時間がない」「センセーは弟子を鍛(きた)えるために、あえて皆の前に姿を見せない」等といったゴマカシだけだ。
だが、この六年間を振り返ってみると、本来なら池田自身が対応すべき外国要人の来日にも、代理を立てて済ませるという非礼を重ね、安保法制への対応の矛盾(むじゅん)で苦しむ学会員に、自らの肉声で道を示すこともしない―等、もはや「執筆に忙しい」とか「弟子を鍛えるため」といった言い訳が通用しない状況となっている。
こうしたことから見ても、かねて本紙が指摘しているとおり、池田大作が脳に重大な障害をきたし、〝生ける屍(しかばね)〟と化していることは、もはや誰の目にも明らかである。
さすがに一般会員達も、この異常事態に気付き、最近では「センセーは脳の病気だっ。それのどこが悪い。人間だから年齢と共に病気になるのは当然だ」等と言い出す者も増えているようだ。
なるほど、生老病死は世の常であるから、生まれた者はやがて老いて病気になるし、「仏にも少病少悩あり」とは法華経の金言である。
だが、脳に異常を生じて、人前に姿を現わすことのできない〝生ける屍〟状態となったことを、正法信仰者の「少病少悩」などと言うことができようか。それは、むしろ、
「説法者を悩乱(のうらん)せば 頭(こうべ)破(わ)れて七分(しちぶん)に作(な)る」
(法華経五八〇頁)
と説かれ、また
「頭破作七分(ずはさしちぶん)と申すは或は心破作七分とも申し」
(御書一〇七一頁)と説かれる〝頭破作七分〟の姿そのものであり、まともに生きることも叶わず、さりとて死ぬこともできない〝生ける屍〟状態は、「大病大悩」とでもいうべき仏罰の姿であろう。
しかも、較べるのももったいないかぎりだが、学会において親の敵(かたき)とばかりに憎悪してきた御隠尊日顕上人猊下が、御年九十三歳の御高齢にも拘わらず、今なお御健勝にて総本山の法要や御開扉に御出仕あそばされていることと比すれば、誰の目にも池田大作の仏罰は歴然である。
心ある学会員諸氏よ、池田が廃人となって六年、それをいまだに「健康だ」と偽って一般会員を欺(あざむ)く学会首脳の不正直を見抜き、また、このまま池田創価学会につき従っていけば、「師は針、弟子は糸のごとし」の道理で、自分も頭破作七分してしまうことを、心より恐るべきである。そして一日も早く脱会し、正法に戻らなくてはならない。
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