「正義顕揚の年」にあたって 石川県白山市 最教寺
燃え上がる〝北陸広布〟の熱願
師弟相対の祈りで折伏を早期達成!
日本の三大名山の白山連峰を背に、眼前には日本海の海原が広がる風光明媚な石川県白山市にある最教寺は、昭和六十年八月に総本山六十七世日顕上人猊下の大導師のもと、落慶入仏法要が奉修されて以来、明年で創立二十五周年を迎える。
平成二年末の創価学会問題を機に、平成三年七月には法華講最教寺支部が結成され、四〇世帯からスタートした。
現在の御住職である白井信益御尊師が第三代住職として赴任されたのは、平成十六年七月のこと。白井御尊師は、赴任されるとすぐに、「北陸広布を担える講中作り」をモットーとして新たな体制を構築し、講中組織の強化を図った。そして、僧俗和合で折伏を進めてきた結果、現在、約一三〇世帯の陣容となっている。
その中でも、昨年と本年は、二年連続で年間の誓願目標を完遂。とくに本年に入ってからは、講中として歴史的な大折伏戦を展開し、年間の折伏誓願目標一〇世帯を、四月二十八日の立宗会(りっしゅうえ)までに早期完遂することができたのである。
突破口となった昨年末の折伏戦
本年の勢いの原動力となったのは、何と言っても昨年末の熾烈な折伏戦であった。
昨年は、御命題達成に向けての最後の年であることから、世帯数(当時は九十八世帯)の二割以上にあたる〝二〇世帯〟の誓願目標を掲げて、年初から折伏戦をスタートさせた。ところが、一時は快調であったものの、到達期日としてきた十月の御会式までの成果は、半数の一〇世帯に止まってしまった。
それを憂慮された御住職は、自ら、御会式の翌日から折伏目標を完遂する日まで、それまで一日二時間行なってきた唱題を〝一日五時間〟とすることを決意され、毎日、五時間の唱題行を開始したのである。
しかし、それから一ヶ月が過ぎようとした十一月下旬になっても、成果は一世帯に止まり、講中には焦(あせ)りの雰囲気が出はじめた。
そのような中、いつもは平穏な寺院周辺の地域で、殺人事件や強盗事件などの凶悪な事件が相次いで起こった。
一件は、講頭がたまたま飛び込み折伏した学会員宅で起こった事件。講頭は、その家にニセ本尊が祀られていることを知り、懸命に折伏したが、結局、その学会員はニセ本尊を手放そうとしなかった。その二週間後、まさにその家で、息子(次男)が母親を殺傷する、という事件が起きたのである。
その他にも、学会員二名がコンビニに強盗に入り逮捕される、という事件や、母親が幼児を殺すなどの事件が相次いだ。
御住職は、これらの事件直後、臨時に役員を召集し、
「あの人達を救えなかったのは我々の責任である。この地域の広宣流布、この地域の人々を成仏に導く責任は我々にある。その責任をもっと感じていくべきだ。
大聖人様は『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ』と仰せである。我々は折伏に手をこまねいている場合ではない。もっと真剣に唱題し、祈り、折伏すべきだ」
と指導された。
その指導によって、役員一同の信心は奮い立ち、日々、寺院へ参詣して御住職の唱題行にお供し、「絶対に目標を完遂させる」との強い決意をもって唱題に励んだ。その息吹は、講中全体に広がって、唱題会への参加者も増え、講中一丸となって組織的な大折伏戦が開始された。
十二月に入ると、新来者がいちだんと増え、折伏は昼夜問わず行なわれて、時には深夜にまで及ぶこともあった。
唱題会の際に新来者を連れてくることも多くなり、御住職と紹介者が折伏をしている最中、他の講員は折伏成就を祈って唱題を続け、唱題会中に御授戒になる、ということもしばしば。十二月一日からは「二日半に一世帯」の割合で折伏が成就するようになり、誰もが驚嘆した。
そして、ついに年の瀬の二十六日の午前九時に、最後の御本尊下附が成就し、年間目標の二〇世帯の折伏を達成することができたのである。一ヶ月間に九世帯の折伏を成就した、支部にとっては、これまでにない歴史的な大折伏戦であり、大勝利であった。
その、最後の御授戒に参加した婦人の目からは涙がこぼれていた。
この時のことを、ある講中役員は、
「昨年末の折伏戦を通し、多くの講員が、『法華初心成仏抄』に示された、
『よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し、国土の大難をも払ふべき者なり』
との御金言をあらためて実感し、御住職の強き一念のもと、僧俗和合・異体同心で唱題し、行動を起こせば、御本尊の御加護をいただき、必ず祈りを成就できることを確信することができました。同時に、自分たちのこれまでの折伏誓願に対する認識や取り組みの甘さを痛感した闘いでもあり、これが本当の〝闘う〟ということなんだと知って、それまでの自分たちの信心を反省しました」
と、明るい表情で語る。
「大結集総会までに二倍の折伏を!」
そして、折伏達成の歓喜の中、本年、「正義顕揚の年」を迎えた。
本年の折伏誓願目標は、昨年の十一月に協議され、記念登山の推進もある関係上、世帯数の約一割にあたる〝一〇世帯〟と定められた。
二月に入り、御住職より、
「大結集は〝地涌倍増〟があっての大勝利であり、本年の折伏目標一〇世帯は、四月二十八日の立宗会までに完遂しよう」
との指導があった。そしてさらに、「完遂するまで、寺院では一日三時間の唱題行を行なっていく」旨を発表されたのである。
この唱題会には、昨年末同様、多くの講員が参加した。日によっては、唱題行や折伏が深夜まで四時間、五時間と行なわれたという。
とにかく寺院へ新来者を連れてくることを一つの目標に、唱題をして折伏し、そしてまた唱題する、という活動の日々であった。その中で、自発的に一日十時間の唱題に取り組み、みごと折伏を成就させた婦人や、約一〇年ぶりに折伏を成就させた壮年の人も現われ、ついに立宗会までに十三世帯の折伏が成就したのである。
折伏の早期完遂を果たしたことにより、五月には、同じく早期完遂した富山市・妙顕寺支部と共に「合同支部登山会」を開催。その際、御法主上人猊下に御目通りして、折伏誓願達成の御報告を申し上げた。
御目通り直後、宿坊にて御住職より、
「七月の大結集総会までに、折伏誓願目標200%を達成しよう」
との新たな目標が発表され、講中一丸となって取り組んだ結果、七月二十六日までの折伏成果の合計は二〇世帯に達した。
また、四月から宗門を挙げて始まった「百日間唱題行」が七月九日で終了した後も、最教寺では「三時間唱題行」が続けられ、それは大総会への出発日の直前まで行なわれた。
その結果、「七万五千名大結集総会」は、参加割り当て六十五名に対して、七十二名が申し込み。一人の欠席者もなく、110・8%の達成率をもって大勝利したのである。
本年、眷属と共に五世帯の折伏を成就している大塚由希子さんは、
「猊下様にお目通りした際、北陸広布への御期待をひしひしと感じ、『私たちは広布の戦士なのだ。これからもいっそう頑張ろう』と心から決意しました。
そして、毎日毎日、折伏に励みました。御住職様と目が合えば、『今日は誰?』が合言葉のようになり、お寺へ新来者をお連れし、お話をしていただいた人数は覚えていないほどです。
今回の活動を通し感じたことは、手続(てつぎ)の師匠である御住職様と僧俗和合して唱えた唱題の祈りは必ず叶う、との確信です。本当に、御住職様にはたくさんの御教示をいただき、たくさんの功徳を積ませていただきました。これからも、新しい御命題に向け、頑張っていきます!」
と力強く語る。
最後に、講中役員から今後の決意を伺った。
「現在の勢いをけっして止めることなく、また、現在の折伏成果にけっして満足することなく、さらなる折伏と五〇万総登山の達成、そして新たな御命題の完遂を目指して、御住職の御指導のもと、『もっと唱題を』を合い言葉に、唱題行を根本に講中一丸となって精進していく覚悟です。」
念仏王国と言われる石川県に、今、正法広布の炎は赤々と燃え上がったのである。
【慧妙平成21年8月16日より転載】