お答えします 「学会は宗門の『C作戦』で破門された」って!?
その言葉だけが勝手に一人歩きした「C作戦」
裁判所も「客観的根拠に乏しい」と存在を否定
学会員は、いまだに「学会は、好き好(この)んで宗門から離れたのではない。宗門の『C作戦』によって、追い出されたのだ」と言って、〝悪いのは御宗門、学会は一方的にカット(C)された被害者〟という立場で日蓮正宗を誹謗(ひぼう)してきます。
しかし、学会のいう「C作戦」などというものは、もとより存在していません。
今回は、この「C作戦」について、お答えします。
そもそも、学会のいう「C作戦」とやらは、いったい、どこから出てきたのでしょうか。
学会では、どこからか入手したというある僧侶のメモ書きに「C作戦」という言葉があったこと、そして、『C作戦文書』なる文書があったこと、を挙(あ)げています。
しかし、いずれも、「C作戦」の存在を証明するものではありません。
まず、ある僧侶のメモ書きなるものですが、このメモ書きは、その僧侶の個人的なものであり、ご本人の意思で公開されたものではありませんから、他人が、ましてや破門された学会が、入手できようはずがないものなのです。
にもかかわらず、学会はこのメモを入手した、というのですから、いったい、どこからどのようにして入手したのか、まず、それを明らかにするべきであります。
また、そのメモ書きというのは、平成二年七月十八日、総本山において、当時の御法主・六十七世日顕上人猊下御臨席のもと、学会への対策を協議する会議が開かれたのですが、その会議に出席していた僧侶が会議の内容をメモしたものです。
その会議は、その年の春頃から表面化してきた、学会の御宗門に対する不遜(ふそん)な行動に対し、今後の対応を協議する目的で開かれた会議でした。
かつて、昭和四十九年当時、「本山とはいずれ関係を清算せざるを得ない」「長期的に見れば、うまくわかれる以外にない」「やる時がきたら、徹底的に戦いたい」との考えのもと、六十六世日達上人を威圧したり、僧侶方を恫喝(どうかつ)してつるし上げたりと、卑劣(ひれつ)な行動を平然と行なってきたのが、池田創価学会です。
このような団体を正していこうとすれば、最悪の場合、日達上人の時と同様、〝手を切る〟という事態になることも覚悟して、事を進めていかなければならないのは、誰にでも理解できることです。
この会議では、こうしたことがいろいろと論議され、結論としては、「まず宗門僧侶が自らの姿勢を正し、学会から付け入られたりしないよう、綱紀自粛すべきである。学会に意見や質問を投げかけるのは、当分見合わせる」ということが決定されたのです。
ですから、メモの中に「手を切る(カット=C)」という表現が残っていたとしても、これをもって、「この会議で学会を切るための『C作戦』が立案された」などということは、まさに天を指して地というような、全く乱暴きわまりない話です。
また、もう一つの『C作戦文書』なるものですが、これは、七月十八日の会議で「C(作戦)」という言葉が出た、ということを漏(も)れ聞いた人が、その言葉を使って、いかにもそれらしい作戦文書に仕立て上げ、創価学会幹部に送り付けてからかったものである、ということがほぼ判明しています。
そこに記されている計画は、平成二年七月十九日以降の実際の宗門の動きとも全く異なっており、会議の当事者でもない人物が勝手に作った怪文書であることは、誰の目にも明らかです。
以上のように、「C作戦」なるものは、もともと存在していないのです。
このことは、後年、日蓮正宗と脱落僧・吉川雄進との間で行なわれた〝寺院明け渡し訴訟〟において、裁判所の判決でも明確にされました。
「被告(※吉川雄進)は、右対立状態に至った原因は、原告(※日蓮正宗宗門)の画策実行した『C作戦』にある旨、主張し、(中略)右主張に沿う部分(※メモ書きやC作戦文書)があるが、これらは、いずれも一方的な陳述の類(たぐい)であり、その内容も客観的根拠に乏(とぼ)しく、また、これらを補強しうる的確な証拠もないから、右証拠から直ちに被告の右主張を認めることはできない」(平成十一年四月二十一日・長野地裁松本支部)
と。
このように、学会のいうような「C作戦」などは、最初から存在していないのですから、学会員各位には、早くこの真実を認める目を覚ましてほしいものです。
【慧妙 平成21年1月1日号 より転載】