地涌倍増をめざして 宮崎県小林市 実報寺


地涌倍増をめざして 宮崎県小林市 実報寺

信心の喜びをもって折伏誓願を達成!
講員を惰性から蘇らせた御住職の一念

実報寺の在る小林市は、宮崎県の南西部、霧島山系の麓(ふもと)に位置し、農業・畜産業の盛んなのどかな町である。
実報寺が建立されたのは昭和四十八年十二月で、その後、いわゆる「昭和五十二年路線問題(創価学会による第一次教義逸脱問題)」の際に、学会を脱会した信徒達によって法華講が結成された。
この実報寺に、高見信妙御尊師が第四代住職として赴任されたのは、平成七年八月のことであった。
高見御住職は、赴任直後から役員と共に講員宅の家庭訪問を実施し、御講参詣の大切さを中心に指導するなどして、信徒の育成に当たられた。そうした中で様々な問題に直面した高見御住職は、個々の信徒との間に信頼関係を築いていく必要性を感じたという。
それに悩んだ高見御住職は、当時の課題であった平成十四年三十万総登山も視野に入れ、「御命題を達成するためには、どのような法華講組織を構築し、どのような活動をしていくべきか」を模索された。高見御住職は、その当時のことを次のように述懐する。
「私自身、法華講を擁する寺院で住職を務めるのは、初めての経験でしたので、暗中模索という感じで、とにかく悩んでは唱題し、時には、活発に活動している他の講中を訪ねてお話を聞いたりしていきました。そうした中で、信心根本の健全な講中運営と、折伏活動のための企画が大事であることを知ったのです。」
以後、正直な信心を基本とした講中の構築に努めるとともに、講員の折伏意識を高めるために、御住職自らが先頭に立って、折伏一斉活動を企画したり、講員各々の親族や知人の折伏、そして法統相続を進めた。
これらの活動に参加した講員は信心が深まり、やがて折伏活動も定着して成果が表われるようになって、平成十四年の三十万総登山の時には、みごとに結集を果たすことができたのである。

化他に流された信心から脱皮

だが、「三十万総登山」が過ぎると、講中には惰性の波が蔓延(まんえん)しだした。それは、講中に〝僧俗和合・異体同心の信心〟を土台とする〝自行〟が定着しないままに、化他行たる折伏を進めてきたがゆえの歪(ひず)みであったようだ。
高見御住職は、この状況について、
「三十万総登山の前は、御命題達成までに時間がなかったことから、自ずと集中力のある信心活動ができ、折伏もできました。しかし、その後は、皆の信心も落ち着いてしまい、折伏も低迷しだしたのです。ただ、『平成二十一年・地涌倍増と大結集』の御命題達成を考えると、毎年、確実に前進する必要がありました。つまり、充実した〝水の流れるごとき信心〟が求められるのですが、それを講中に確立させていくには、どのようにしていったらよいのか、それがわからず、私自身、悩み、もがきました」
と語る。
唱題をしては活路を求める御住職の一念は、やがて実報寺法華講に転機をもたらした。
「もがいている中で、平成十八年の支部登山の折、理境坊所属の妙観講の方々と交流会をもたせていただいたのです。そこで驚いたのは、妙観講の方々の礼儀正しく、また、正宗信徒としての誇りと歓喜に満ちた振る舞いでした。
そして、体験談を聞く中で、妙観講の講員は、信心の喜びをもって日常的に折伏を行なっていること、また、功徳の溢れた生活を実現していることを知ったのです。
それ以来、実報寺法華講にとって、妙観講が一つの目標になりました。なかなか近づくことはできませんでしたが、それでも、目標と手本があるということは強いもので、これまでは住職から信徒へと、とかく一方通行になりがちだった指導も、とくに役員会等では、講員同士が啓発し合える環境を作り、また、講員一人ひとりの自行の強化をはかってきました。
そのようにしてくる中で、自分の信心姿勢の中に十四誹謗がないかと、冷静に自らを振り返り反省しながら前進する役員も育ち、講中を安心して任せることができる態勢が整って、だんだんと講中に活気が出てきたのです。
今、〝信心において大事なのは、正法を信受している喜びと感激であって、それがあってこそ、水の流れるごとき信心も確立されるのだ〟と感じております。」
(高見御住職・談)

確かな成長と折伏誓願の達成

講中成長の確かな手応えを感じた高見御住職は、本年の年頭、講員に対し、
「今年こそは、折伏誓願を必ず達成し、猊下様にお応えしていきましょう。そして、各々の罪障を消滅していきましょう。それには、義務感でなく、喜びと感激をもって信心していくことが大事です」
と指導された。
そして、役員会で培(つちか)われつつある〝喜びと感激の信心〟を講中全体に伝播(でんぱ)させるため、高見御住職は「これまでのように指導教師がこと細かく口をはさむことは控えて、講頭を中心に、歓喜の信心活動が伸び伸びとできる空気を作ることに心を注いだ」という。
具体的な活動としては、毎朝七時から寺院で唱題行を行ない、毎週火曜日の夜は、唱題の後に勉強会・座談会を行なっている。さらに、月一回の仏法講演会、学会員宅の一斉訪問折伏、チラシを用いての飛び込み折伏、邪宗の施設への折伏なども行なっている。
このうち、火曜日の勉強会は、御住職による勉強会の後、講頭を中心に、教材を使った勉強会も行なわれているが、これにより、法華講員としてのあるべき姿勢などが講員同士で語り合われたり、気楽に体験を話すことができるようになったという。
なお、月一回の仏法講演会とは、妙観講の活動を参考にした、折伏座談会のことである。内容は、「信心とは何か」を基調とした御住職の法話の後、講員による体験発表があり、その後、新来者を囲んで個別に折伏を詰めていくのである。この仏法講演会には、六人以上の新来者を連れてくることを目標としている。
折尾やえ子講頭は、
「仏法講演会を始めた昨年は、新来者をお連れすることもままなりませんでしたが、それでも実践し続けてきたところ、参加した講員が、あらためて信心の大切さや折伏の進め方を学ぶことになり、折伏の意欲を盛り上げるための原動力となったのです。
こういう形だと新来者を誘いやすいということもあって、今年は仏法講演会もかなり活発になってきて、その日のうちに御授戒を受ける方も出てきました」
と、明るい表情で語る。
また、チラシを用いての飛び込み折伏は、〝広く謗法を退治して、この地を仏国土にしよう〟との意気込みで、一般の住宅を軒並み訪問する、という活動であるが、これによって、期せずして学会員を見つけることにもなり、その中から、本年は学会員を含む三名の方々が帰伏・入信できた。
さらに、邪宗教の施設へ折伏に行く活動においては、邪宗教の実態をまざまざと見せつけられ、宗教を正邪の違いを実感することになる。男子部の小田さんは、先輩と共に「崇教真光」の施設へ折伏に行った際、その矛盾だらけの教義に直面したことによって、逆に、大聖人の仏法がいかに偉大であるかを、あらためて確信したという。そして、確信を深めた小田さんは、父親を折伏し、ついに入信に導くことができたのである。
こうして、講員の自発性や求道心を触発し合える環境の中で、講頭を中心に折伏活動に勤(いそ)しんできた結果、実報寺法華講は、九月末日をもって、ついに年間の折伏誓願を達成したのである。
その達成の瞬間を、高見御住職は次のように語る。
「二十五世帯の折伏誓願にあと四世帯というところまで迫った八月三十一日の大布教区別指導会で、折尾講頭が講中を代表して『九月中に達成させる』と宣言しました。その後、折伏は順調に進んだのですが、残りあと一世帯というところで、魔も強くなったのでしょうか、折伏が進まなくなったのです。
そうした中で九月二十八日の役員会を迎えました。役員の間に諦めの空気を感じた私は、『ここで諦めては、前に戻ってしまう。誓った以上は、何としても今月中に達成させよう!』と呼び掛けました。
すると、それに呼応して、役員の一人である酒匂美貴子さんが、『この一世帯をやりきらなければ、自分達の罪障消滅はないのだ。何としても、猊下様にお応えしたい』と、力強く決意発表をしたのです。
これによって、その場の空気は一変し、役員会終了後は皆で唱題をしました。
すると、その翌日、長山幹事と婦人部の小倉さんの二名が訪ねて行った学会員が、これまでの頑(かたく)なな態度を一変させて、ついにお寺に足を運んできたのです。そして、じっくりと話した結果、その日のうちに勧誡を受けさせることができました。」
そのニュースは、すぐに講中に流され、皆で喜び合った。前夜の力強い決意発表で諦めの空気を破った酒匂さんは、その時の喜びを、
「その日はもう、感激のしっぱなしでした。御本尊様のお力の素晴らしさを、さらに確信することができました」
と語る。
こうして、僧俗和合・異体同心の強い信心によって魔は打ち破られ、年間の折伏誓願が達成されたことにより、講中には、以前にも増して信心の喜びが漲(みなぎ)ったのである。
現在、実報寺法華講では、来年の登山啓蒙に力を注いでいる。折伏達成の歓喜で啓蒙したからであろう、すでに、結集目標はほぼ確定状態だという。
本年を闘いきった折尾講頭は、来年に向け、次のように決意を述べる。
「ありがたいことに、妙観講の方々と縁させていただき、御本尊様にお仕えする信心や、僧俗和合の在り方などを学ぶことができました。それによって、誰よりも実報寺信徒の信心を心配されてきた高見御住職様の御指導が、これまで以上に深く理解できるようになり、その喜びが、本年度の折伏目標完遂の結果につながったと思います。
今後は、さらに破邪顕正の精神を強固にし、信心の足腰の強い信徒へ成長し、来年の地涌倍増の御命題を果たしてまいります。」