池田の日本支配計画破綻


池田の日本支配計画破綻
8・30衆院選の壊滅的惨敗で
公明、政権から転落

ピーク時議席の半分以下に
学会の勢力後退は明白

 去る八月三十日に投開票の衆議院選挙において、自公連立与党は敗北し、公明党も結党以来の歴史的大惨敗を喫(きっ)した。
 このたびの総選挙は、政権交代を賭けた重大な選挙であると共に、仏法上でいえば、大謗法団体である創価学会(=公明党)を国家権力から切り離すことができるか、どうかのかかった、文字どおり〝天下分け目の決戦〟であった。
 それだけに、七月の幹部会において、会長の原田某は
 「いかに権力の魔性が牙(きば)をむき(※自分達が国家権力を手にしている側なのに、何をかいわんや)、暴風が吹き荒れようとも、我々は必ず勝つ。この信念で、来たる衆院選も祈り抜き、戦い抜き、断じて勝ち抜いてまいりたいと思いますが、いかがでしょうか!」
と檄(げき)を飛ばし、男子部長の棚野某も
 「いまこそ池田門下の底力を満天下に示すとき」
などとぶち上げた。
 だが、その「信念」と「底力」を満天下に示した結果は、冒頭に述べたとおり、目も当てられぬものとなった。
 従来、学会の固い組織票によって支えられてきた公明党は、得票数の極端な変動がないため、全体の投票率が低くなればなるほど結果は有利になり、逆に、全体の投票率が七〇%以上に上がってしまえば敗北する、といわれてきたが、今回の総選挙の投票率は六九・二八%まで上がったばかりか、公明党自体の得票数も前回の総選挙(平成十七年)と比べて九十万票も減少したため、かつてない大惨敗となったのである。
 『公明新聞』は「逆風のなか善戦」などと、ごまかしているが、今回の惨敗は、自民党に対する「逆風」の巻き添えによるものではない。
 公明党自らが、これまで政権にしがみつこうとして、コロコロと主張・政策を変えて自民党に寄生してきたことや、学会員による非常識な選挙闘争に対し、多くの国民は反発をつのらせてきていた。それに加えて、沈黙しているマスコミに代わって、有志が命がけで大量配布したビラにより〝創価学会党〟ともいうべき公明党の正体が、あらためて知れわたったことで、国民が「NO!」の審判を下し、その怒りが公明党を直撃して、今回の大惨敗となったのだ。
 さらに、投票日一週間前の八月二十三日、それまで、公明党との全面衝突を避けている、と見られてきた民主党の小沢一郎代表代行が、「もはや公明党に勝機なし!」と見極めたのだろう、太田の立つ東京十二区、北側の立つ大阪十六区について、突如、
 「この二つの選挙区は何としても勝たなくてはならない。ここで勝利しないと、政権交代も完結しない!」
と述べ、遠慮会釈なく、両選挙区における公明党との闘いに全力を投入した。
数々の要因が重なった結果、公明党代表の太田昭宏、幹事長の北側一雄、元国土交通相の冬柴鉄三といった大物をはじめ、公明党が小選挙区に立てた候補は全員敗退、議席数も、選挙前の三十一議席から十議席も失い、最盛時であった昭和五十八年の五十八議席の半分以下、衆議院に初進出した昭和四十二年の二十五議席をも下回る過去最低(!)の二十一議席という、目も当てられぬ惨憺(さんたん)たる有り様となった。
 そして、池田大作から「もう絶交だ!」とでも言われたのか、どうかは知らぬが、「全ての責任を取る」と称して太田・北側は辞任した。
 これで公明党は、一昨年の参院選における敗北で参議院のキャスティング・ボートを失い、今また衆議院でのキャスティング・ボートを失って、池田創価学会の狙ってきた「日本乗っ取り構想(創価王国構想)」は破綻した。油断は禁物ではあるが、もはや、池田の存命中の天下盗り実現はあり得まい。池田の胸中や推(お)して知るべし。
 また、先々のことは凡夫にはわからないとはいえ、いかに公明党が民主党にすり寄ろうとも、当分の間、民公連立などという可能性(民主党が公明党を頼らねばならない要素、また、連立を実現しうる状況)が潰えたことも間違いない、といえよう。仏法のため、国家のため、慶賀のいたりである。
 いよいよ、邪教創価学会を守ってきた外堀が埋まり、その鎧(よろい)は砕け散った。
 しかも、創価学会がこれまで「広宣流布のバロメーター」と位置づけ、学会員が「勝つことこそ正義の証」と自負してきた、比例区得票数を見れば、創価学会そのものの勢力が大きく減少し、会員の妄信的パワーが低下したことは明らかだ。
 八十万体制を目指す法華講として、これからが創価学会員への折伏に立ち上がるべき時である。