矢野裁判において裁判所が認定した創価学会・公明党の正体!


矢野裁判において裁判所が認定した創価学会・公明党の正体!

創価学会の人権侵害と暴力体質を見よ
この異常な宗団から脱会しよう!

〝組織を挙(あ)げて命を狙(ねら)う〟とした脅迫内容
「創価学会青年部が怒っている。」(高裁判決文一七頁)
「青年部は跳(は)ね上がっている。矢野の命も危ない。」(高裁判決文一七頁)
「土下座しろ。」(高裁判決文一九頁)
「人命にかかわるかもしれない。」(高裁判決文一九頁)
「あなたは息子がどうなってもよいのか。」(高裁判決文一九頁)
「それを渡さないと皆怒り狂って何が起こるか分からない。」(高裁判決文二〇頁)
「渡さないなら覚悟はできていますね。」(高裁判決文二〇頁)
「重大なことと言えば分かるだろう。矢野さんの身に危険が迫る。」(高裁判決文二七頁)
「どうしてもだめなら、全党挙げて矢野をつけねらう。」(高裁判決文三三頁)
「要求を拒(こば)めば、これらの多数の創価学会員ないし公明党員が矢野及びその家族に対してどのような危害を加えるかもしれない。」(高裁判決文四一頁)

上記の発言をご覧いただきたい。
これらは巷(ちまた)の暴力団員が吐(は)いた言葉ではない。歴(れっき)とした宗教法人・創価学会の副会長や青年部幹部、さらには公明党OB議員らの口から出た言葉である。
本紙前号で報じたように、矢野氏の「黒い手帖」にまつわる裁判は、創価学会・公明党の、あらゆる手段を弄(ろう)して服従させようとする暴力体質、必要とあれば証拠の改ざんまでして〝敵〟を陥(おとしい)れようとする謀略体質を、司法がしっかりと認識した、という点で、大きな意義があった。
その裁判の中で、上記のような脅迫的言辞(げんじ)を、創価学会幹部や公明党OB議員が矢野氏に対して発言していた「事実」が認定されたのだ。
周知のように創価学会は、日本最大の新興宗教団体である。
その機関紙である『聖教新聞』の一面には、ほぼ毎日のように、「創価学会の永遠の指導者」である池田大作が、その人間性を認められて世界中から顕彰されている、とする記事が掲載されている(その顕彰の有り様は、まるで最近ヒットした映画『二十世紀少年』に出てくる「ともだち」のようだ)。
しかし、その池田大作の間近(まぢか)にいて、日々薫陶(くんとう)を受けてきた最高幹部らの口から出た言葉は、暴力団も顔負けの脅迫的言辞だったのである。
このことから窺(うかが)われるのは、池田大作が実際に彼らに教え込んできたのは、創価学会絶対主義であり、たとえ少しでも創価学会を批判した者は徹底的に排斥(はいせき)し、追い詰めていく、創価学会流の原理主義だったのであろう、ということだ。
創価学会はこれまでの歴史の中で、数々の反社会的事件を起こし、そのたびに社会から糾弾(きゅうだん)されてきた。練馬投票所襲撃(しゅうげき)事件しかり、言論出版妨害事件しかり、日本共産党議長・宮本顕治邸盗聴事件しかりである。
しかるに、これらの事件について創価学会は、常に〝一部の者による行きすぎた行為だった〟と弁明。創価学会そのものへの批判を必死に躱(かわ)してきた。
だが、さすがに今回だけはそうはいかない。なぜなら、矢野氏への脅迫は、現職の副会長や青年部幹部ら、さらには公明党OB議員ら、池田から直接薫陶を受けてきた首脳幹部らが引き起こしたからである。
されば、当然のことながら、最高指導者・池田大作の指導性こそ問われてしかるべきであろう。
言論出版妨害事件の際、後に第四代会長となる北條浩は、学会批判書を著(あらわ)した隈部大蔵氏に対して「創価学会は『象』、それも巨象だ。これに比べてお前は一匹の『蟻(あり)』だ。創価学会を批判する輩(やから)に対しては、たとえ一匹の蟻といえども象は全力をもって踏(ふ)みつぶすのだ」「学会の青年部は純真で、情熱的で、行動力に富んでいる。したがって創価学会を批判するような不心得者に対しては、最高幹部の命令とあれば、命令一下、どんなことでも実行する信念と行動力を持っていることを、よく覚えておけ」と恫喝(どうかつ)したという。
あの日本中を震撼(しんかん)させた驚くべき事件から、すでに約四十年が経過した。
この間、創価学会では、池田大作自らが事件を深く反省し、社会に謝罪した上で、学会の体質を改めてきたはずであったが、じつは、あの時の謝罪は、創価学会なかんずく池田大作への批判をかわすためだけの、世間を欺(あざむ)く行為でしかなかったのである。
そして今回、矢野氏の裁判によって、池田創価学会の体質は、今も何一つ変わっていないことが証明されたのだ。
創価学会員の諸氏よ、これでもなお学会・公明党を信じて、ついて行くのか!?