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2016年 6月1日
創価学会を守る事が至上命題の公明党
その目的のために政権与党の立場に固執
公明党は「政権の抑止力」ならず
「核兵器の保有・使用」を黙って認容
日本は、広島・長崎に核兵器の洗礼を浴びた、唯一の核被爆国である。それだけに、世界から核兵器の廃絶を訴えていく使命のある平和国家でなくてはならない―それは誰もが納得してきた、核兵器に対する日本の立ち位置である、といえる。
ところが、その日本の内閣が、〝憲法上は日本も、核兵器を保持するだけでなく使用することもできる〟と宣言して、多くの人々の耳目を驚かせた。すなわち去る四月一日、「非核三原則という政策上の方針として、一切の核兵器を保有しない、という原則を堅持している」としつつも、わざわざ「憲法九条は、一切の核兵器の保有および使用を禁止しているわけではない」とする閣議決定を行なったのだ。
現在の内閣は、安倍晋三を総理とする自公連立で成り立っており、その連立内閣がこの閣議決定を行なった、ということは、これに公明党(ひいては公明党の支配母体ともいうべき創価学会)も賛同した、ということに他ならない。
その証拠に、『公明新聞』も『聖教新聞』も、この閣議決定を黙認していて、一切、批判をしていないのである。
戸田二代会長の核兵器禁止宣言
公明党は恩師の反核宣言に反逆!
だが、本当にそれでよいのか。
創価学会第二代会長・戸田城聖氏は、昭和三十二年九月八日、横浜市・三ツ沢競技場においていわゆる「原水爆禁止宣言」を行なった。少々長くなるが、次に引用する。
「今、世に騒がれている核実験、原水爆実験に対する私の態度を、本日、はっきりと声明したいと思うものであります。いやしくも私の弟子であるならば、私の今日の声明を継(つ)いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたいと思うのであります。
それは、核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私は、その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。
それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用した者は、ことごとく死刑にすべきである、ということを主張するものであります。
なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利を持っております。その権利を脅(おびや)かす者は、これ魔物であり、サタンであり、怪物であります。
それをこの人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用した者は、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。
たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用した者は悪魔であり、魔物であるという思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信じるものであります。
願わくば、今日の体育大会における意気をもって、この私の第一回の声明を全世界に広めてもらいたいことを切望して、今日の訓示に代える次第であります。」
これを要約すると、「世界の民衆は生存権を持っている。それを、核をもって脅かす者は皆、魔物であり、サタンであり、怪物だ―」戸田氏はこう獅子吼(ししく)したのである。
この戸田氏の宣言と、先般の閣議決定とを見較べて、両者が矛盾(むじゅん)なく一致する、などと解する者はあるまい。
連立政権に参画する公明党は、彼らの恩師たる戸田氏に真っ向から反逆したのである。
公明党と自民党の関係の本質
学会を守るため下駄の雪から石へ
そんなことが公明党にできたわけは、もちろん、彼らの人事権も含む支配権を持つ、創価学会の意向に従ったものだからだ。
ではなぜ、創価学会・公明党は、戸田氏以来の絶対平和主義の看板を外してまで、連立を組む自民党の意向に添うことにしたのか―。それを知るために、学会と自民党の関係について、振り返ってみよう。
平成五年夏、衆院選の大敗によって自民党が下野し、公明党は日本新党・日本社会党・新生党・民社党・新党さきがけ・社会民主連合・民主改革連合などと連立し、念願だった政権を初めて手にした。そして、公明党委員長(当時)の石田幸四郎を含め、四人が入閣したのである。
これに池田大作は有頂天となり、「デェジン(大臣)、デェジン」と浮かれに浮かれた。だが、政権与党から転落した自民党は、この連立政権のウィークポイントが創価学会<CODE NUM=00A5>公明党の政教一致問題であると見定め、党内有志で「憲法二十条を考える会」を発足させ(後に「四月会」に発展)、学会・公明党への徹底攻撃を開始した。
こうした自民党の凄まじい攻撃に揺さぶられ、結局、羽田内閣は平成六年六月に倒れ、公明党の政権与党の立場も、わずか一年弱で潰(つい)えた。
しかし、自民党はその後も、創価学会、公明党への攻撃の手を緩めることはせず、自自公連立が成る平成十一年十月まで、自民党による学会・公明党への徹底攻撃が続いたのである。
こうした経緯(けいい)の中で、政権与党となる〝旨味〟と、自民党の〝怖さ〟が骨身に染みた創価学会・公明党は、自民党と連立を組んでから以降は、必死になって、自民党との蜜月状態を保ってきた。
平成十四年には、公明党幹事長(当時)の冬柴哲三が「戦争反対は利敵行為」だと叫び、自民党と共に、アメリカが仕掛けたイラク戦争を正当化。翌十五年には、イラクへの自衛隊派遣に関する特措法が成立すると、自衛隊派遣に先立ち、公明党委員長(当時)の神崎武則が自らイラクに乗り込んで派遣への旗振りをするほど、熱心に時の政権を支えてきた。
また一昨年は、現憲法下においても集団的自衛権の行使は可能、とする閣議決定に同調し、昨年は、その閣議決定を元に改正された、新安保法制の成立にも協力した。
このように、自民党にガッチリとしがみつき、自らの党是までも曲げて自民党に歩調を合わせる公明党の姿は、〝自民党という「下駄」の歯にくっついた「雪」のようだ〟とまで揶揄(やゆ)されてきた。
だが、今回の閣議決定を見ると、いまや公明党は、「下駄」に挟(はさ)まった「雪」ではなくて「石」―「雪」ならば自然に溶け落ちるが、下駄の歯に挟まった石はそう簡単には落ちない。それと同じように、何があろうと公明党は、政権を握る自民党に付き従う―となった、というべきであろう。
目的のためには核も使いうる危険性
学会・公明党を厳しく監視しよう!
ここまでして公明党が自民党に従い、政権にしがみつこうとする理由は何か、といえば、申すまでもない。池田大作の
「創価学会と学会員を守る。それが公明党だ」(斉藤鉄夫元環境大臣への激励・平成五年一月)
といった指導のとおり、池田創価学会を守らんがため、その一点のために、必死で政権にしがみついているのだ。
しかも、その目的のために、平気で長年にわたる「平和の党」の表看板を外せるということは、学会・公明党の最高指導者・池田大作が、真の平和主義者などではないからである。それは、次の池田発言に明らかであろう。
「軍事力を全面否定するということは、一個の人間の『心情倫理』としてならまだしも、政治の場でのオプション=『責任倫理』としては、必ずしも現実的とはいえないでしょう。」(「SGIの日」記念提言・平成十五年一月二十六日)
こんな提言を堂々と発表するような人物が、真の平和主義者でないことはいうまでもない。
以上のように、公明党は、池田創価学会を守るためなら、戦争や核の保有および使用をも容認するのであり、また池田大作自身も、それを是認(ぜにん)している。
要は、全てが池田創価学会を守るため、との行動原理に貫かれているのだ。
これは、まことに危険きわまりない政党という以外にない。早い話が、創価学会を守るためなら、「非核三原則」を反故(ほご)にして核兵器を持つことも、あるいは武力を行使することも、最終的には核兵器を使用することさえも躊躇(ちゅうちょ)しない、ということなのだから。
その危険性を肌で感じることができる我々は、創価学会・公明党の動きから、けっして目を離してはならない。そして、公明党を支配する母体たる創価学会を、倦(う)まず弛(たゆ)まず折伏しぬいていくことが必要である。
加えて、社会に広く警鐘を鳴らしていくことを怠(おこた)ってはならないのである。
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