「正義顕揚の年」にあたって岐阜県大垣市 経説寺


「正義顕揚の年」にあたって岐阜県大垣市 経説寺

人材を輩出しつつ、前進を期す
支部登山も協力態勢でスタート

経説寺のある岐阜県大垣市は、西濃に位置し、西は滋賀県、南は三重県、北は福井県、南東には愛知県と隣接する、岐阜県二番目の都市である。
三祖日目上人の御遷化の地で有名な〝美濃の垂井(たるい)〟は、隣の町になる。この垂井には、昭和四十六年に創建された天奏寺があるが、現在は正信会に不法占拠されている。
大垣市には、戦前、愛知県の岩倉・興道寺の大垣出張所(教会)があったが、空襲に遭い、戦後は再建されなかった(戦災を免れた御本尊と御影は、現在、興道寺に保管されており、毎年の御虫払いにはそのお姿を拝見することができる)。
経説寺は、昭和五十一年、日達上人の代に創建され、初代住職・殿原法正御尊師のもと、同五十四年に法華講を結成、十五世帯からの発足であった。
その後、平成三年、創価学会問題の露呈に伴い、法華講の世帯数は五十世帯へと増加。平成六年には第二代住職・岩切寿英御尊師を迎えて、いよいよ講中の活性化が進み、現在、百五十世帯・四百五十名を超える陣容となっている。
岩切御住職は、赴任後すぐに、寺報『経説』を発行された。十六ページ立ての寺報は、すでに二〇〇号を超えているが、御書を引き、大聖人の御法門が解りやすく解説・指導されており、法要で聞き漏らした部分も再度、勉強することができて、講員にとっては座右の書となっている。
御住職は講員に対し、〝毎月の寺院参詣により、法を聴聞して信行を深めていくことの大切さ〟を指導され、さらに、
「皆様にも父母がいて、その両親にも父母がいます。今、自分がいるのは、その累々(るいるい)と続く先祖があったればこそであり、そして、この後もまた、法統相続して、子や孫に信心を受け継いでいってもらわなければなりません。そのためにも、令法久住は大切なのであり、この正法を護り伝えていくのは、皆様しかいないのです。
寺院への参詣は、御報恩の姿であり、子や孫にその姿を見せ、御本尊様への御報恩の心を伝えていっていただきたい」
と言われて、先祖供養の大切さ、仏法を外護し、さらに折伏を進め、法統相続していくことの大切さ等を指導されている。

思わぬ形で実った折伏も!

昨年の折伏誓願目標を達成したことによって、講中には「やればできる!」との気運が漲り、今、その勢いのまま、『立正安国論』正義顕揚七五〇年・記念総登山の目標達成に向け、活発な活動を展開している。
昨年の折伏達成には、婦人部と青年部の活躍があった。
まず、僧俗指導会における阿部庶務部長からの「折伏ゼロの月をなくそう」との指導に、竹中さん母子が奮起。そして、竹中さん母子に触発される形で講中にも折伏の気運が漲って、次々と折伏が成就していったのである。
火付け役となった竹中さんは、丑寅勤行で御祈念し、お寺の朝の勤行にも参加して折伏に臨み、さらに、講員の折伏にも同行して一緒に話をしてきた。婦人部の前田あけみさんのお母さんに対する折伏もその一つである。
前田さんは、学会を離れることができずにいた母親を、何としても折伏したいと願い、竹中さんに折伏の手伝いを依頼した。娘の話にはまったく聞く耳を持たなかったお母さんも、竹中さんの話には多少、耳を傾けた。しかし、相も変わらず、「私は学会でやるからいい」との返事。
その直後に、仏罰によるものか、お母さんは体調を崩して入院した。退院後は、近くに住む清水さんという方がいつも何かと面倒を見てくれているという。
前田さんは、その清水さんとは面識がなかったので、今後の事をお願いするために、お母さんの家に出かけた。そして、挨拶を済ませた前田さんが、お母さんに対し、前にも増して学会の謗法を破折していったところ、なんと、横で聞いていた清水さんが、突然、「私、脱会してお寺に戻る」と言い出した。清水さんも学会員だったのである。
その展開に驚いた前田さんだったが、その後、清水さんは無事に勧誡を受け、御本尊を御安置することができた。
このケースを含め、経説寺支部では、請願目標十五世帯に一つプラスした十六世帯の折伏が成就できたのである。
なお、清水さんは、前田さんに「お母さんは、私が絶対折伏するから」と言って、お母さんを折伏してくれているという。

幸先のよいスタート

今、講中は、前田康講頭、小林繁高副講頭(青年部長兼務)、間下澄夫壮年部長(登山部長兼務)、玉垣久美子婦人部長(少年部長兼務)ほか四名の役員を中心に運営され、今年の折伏目標十五世帯と五十万総登山に向けての活動を推し進めている。
また、若い人の中にも人材が育ってきて、登山中の本山任務者として三名、教区の「推進会だより」の編集に青年部二名、少年部鼓笛隊に青年部三名を輩出しており、それぞれの立場で御奉公している。
なお、役員の方によれば、今年の御登山については、当初、支部総登山は一、二回の中で約四百名を振り分ける計画だったが、啓蒙を始めてみると、一度に家族全員が家を空けられないということや、多くの地方都市に共通する憂いで高齢者も多く、一度にお世話をすることが難しいなどの問題が生じてきた、という。
「その打開策を御住職に相談したところ、御住職より総本山の許可を得ていただき、我が講中は、毎回四十三名ずつ、年間、九回に分けて支部登山を敢行することになりました。
これによって、輸送などの協力態勢も組みやすくなり、御登山の啓蒙が進んで、第一回となる三月度の御登山は五十七名の参加申し込みと、幸先のよいスタートとなりました。七月二十六日の『七万五千名大結集総会登山』は八十名の割り当てですが、これの啓蒙も順調に進んでいます。」(役員・談)
「正義顕揚の年」――経説寺支部は、御当代日如上人・御隠尊日顕上人、両猊下の御期待に添い奉っていくことを固く決意し、五十万総登山と七月二十六日の大結集総会の目標完遂に向かって突き進んでいる。
【慧妙平成21年3月16日号より転載】