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慧妙 2015年10月16日号

 

 

宮田幸一

宮田幸一

 

ついにここまで来た創価学会!

宗祖本仏義を否定して仏像を容認

 

 去る九月五日、創価大学において開催された「日本宗教学会第74回学術大会」の席上、創価大学教授で

創価学会教学部顧問である宮田幸一は、今後の学会の進む方向性として、他門流の日蓮宗を認容し、

宗祖本仏義を否定して仏像本尊をも認める、という大謗法の見解を発表した。

 

 宮田は、昨年十一月の創価学会における会則変更が「教義を変えた」ことであるとハッキリ認めた上で、さらに、

これから「どのように教義を変えていくのか」と

いうことについて、ヘラヘラ笑いながら驚くべき重大発言をした。

 なんと、日蓮正宗の相伝に依(よ)って立ててきた宗祖本仏義を捨てる、というのだ。

 
 
 
①「他の日蓮宗にも功徳がある」!?
 
 
 まず宮田は、「今まで(の学会で)は、日蓮宗各派の寺院にある大聖人が書かれた曼荼羅(まんだら)本尊は全て功徳ないよ、
としていました。
今回(の教義変更で)は、等しく本門の本尊である、ということを認めました。これはどういうことかというと、
大聖人の書かれた本門の本尊だから、それに題目あげれば皆な功徳あるでしょう、という立場です。
過去において創価学会は、学会の信心にだけ功徳がある、他の日蓮宗にはないよ、と言ってきましたが、そんなことを言っても、
じゃあ日蓮宗の信仰している人は皆な不幸になっているのか、というと、これはそうなかなか言い切れないですね。
(中略)それを信仰している人達が『功徳がある』と思えば『ある』だろうし、『ない』と言えばたぶん『ない』だろう」「(日蓮宗の本尊を)拝んで、
それは功徳がないよ、罰が当たるよ、ということは、もう言ったりできない、ということです」と述べた。
 要するに、創価学会が日蓮正宗から破門されて、本門戒壇の大御本尊からも離れてしまったことにより、他門流の日蓮宗と
何ら変わらない立場となったのだから、もう今後は、他門流の本尊を拝んでも功徳がない(罰がある)とは言えなくなった、ということであり、
その本音が露呈(ろてい)した発言である。
 それにしても、これまで大謗法の邪宗教として破折の対象としてきた他門流日蓮宗を、「これからは、功徳があると思えばある」
「功徳がない、とはもう言ったりできない」とは、何という言い草であろうか。御都合主義も極まれり、である。
 創価学会には、もはや、信仰における、正邪の分別という考え方や確信というものがなくなってしまった、というべきであろう。

 
 
大謗法
 
 
 
②宗祖本仏義を「無理」と否定!
 
 
 さらに宮田は、今後の学会の方向性として、「日蓮本仏論ね、日蓮正宗はその考え方が日蓮自身にあったんだ、という前提で、
いくつかの御書を引用して頑張っているだけです。
けれど、基本的にそれは無理だろうと。要するに、大聖人自身が日蓮本仏論を持っていた、というような立場は(学会は)取らない」
「我々の信仰のモデルが(日蓮大聖人であり)、どういう姿でもって、どういうことをやるのか、というお手本である、として日蓮本仏論を作り直す」等の、
大謗法の見解を述べた。
 ここで宮田は、「宗祖本仏義は日蓮正宗がいくつかの御書を引用して頑張っているだけ」などと言っているが、これこそ大聖人が
 「くは(委)しく申したれども愚人は知りがたし」
  (御書一二八〇頁)
と仰(おお)せの〝愚人の浅見〟である。大聖人は
 「親疎(しんそ)と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ」
  (御書一〇三七頁)
と仰せられ、未熟の人には深秘の法門を示すことを控えられたから、ことに種脱相対、曼荼羅本尊義、宗祖本仏義といった、
従前の釈迦仏法から見たら驚天動地(きょうてんどうち)ともいうべき重大法門については、御書の面(おもて)に露(あら)わには説かれず、
血脈相承によって付弟・日興上人御一人にのみ秘伝された。本宗以外の不相伝の輩(やから)は、これら日興上人御一人に伝えられた深義を否定するが、
これらの法門を前提としなくては、多くの御金言が互いに矛盾(むじゅん)し、整合しなくなってしまうのである。
 よって仏法の道理(日蓮大聖人が御自らを御本仏と自覚されていたこと)は明らかなのだが、宮田は、宗祖本仏義が多くの御書の面に露わに説かれて
いないことをもって、「無理」「大聖人自身は日蓮本仏論を持っていなかった」などと言う。だから〝愚人の浅見〟だというのである
(※宮田がこれを読んで憤激するなら、当方はいつでも法義論争に応ずる用意がある、と言っておこう)。
 宮田が自らの浅見にも気付かず、思い上がって「大聖人を、我々の信仰のお手本という程度の位置付けで捉え直す」などと
嘯(うそぶ)いていることは、まさに
 「かゝる日蓮を用ひぬるともあしくうやま(敬)はゞ国亡ぶべし」
 (御書一〇六六頁)
の戒めに当たる大謗法に他ならない。

 
 
 
 
 
③「釈尊像を本尊とするもあり」!?
 
 
 日蓮大聖人が御本仏であることを浅見によって否定し、さらに調子に乗った宮田は、「大聖人自身は、久遠実成の釈尊を根本にしていた、
そちらの方は認めざるをえません。(中略)まあ(曼荼羅の)中央には、確かに南無妙法蓮華経。右側に南無釈迦牟尼仏と書いてある。
(中略)あれそのものが教主釈尊を本尊としている、というふうに私は解釈していますけれどもね。
じゃあ、それ(曼荼羅)を木像にするとか絵像にするとかね、そういうことについては研究して、
まあ木像の方が寺院としてはいいんじゃないの、という人もいますけれど、それはそれで、ありだと思います」等として、
ついに釈尊像をも本尊として認める、極め付けの大謗法発言を行なった。
 だが日蓮大聖人は、弘安元年御認(したた)めの『本尊問答抄』に
 「法華経の教主を本尊とす、法華経の正意にはあらず。(中略)問うて云はく、然らば汝云何(いかん)ぞ釈迦を以て本尊とせずして、
法華経の題目を本尊とするや。答ふ、(中略)其の故は法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり。釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり。
故に全く能生を以て本尊とするなり」
  (御書一二七四頁)
と、釈尊では末法適時(ちゃくじ)の本尊たりえないことを明かされ、また、伊豆流罪の折に地頭・伊東八郎左衛門から献上されていた釈尊像についても、
弘安五年十月十三日の御入滅に際しては、枕辺(まくらべ)から片付けさせて御自筆の大曼荼羅を掛けさしめ(身延山所蔵『元祖化導記』より)、
末法適時の真の御本尊を明らかにされている。
 また、第二祖日興上人も、『富士一跡門徒存知事』に
 「五人一同に云はく、本尊に於ては釈迦如来を崇(あが)め奉るべしとて既に立てたり(中略)。
 日興が云はく、聖人御立ての法門に於ては全く絵像木像の仏菩薩を以て本尊と為(な)さず、唯(ただ)御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、
即ち自筆の本尊是なり」
  (御書一八七一頁)
と示されるとおり、釈尊像を本尊とすることを固く禁じ、事実、釈尊像を本尊とした身延の地頭・波木井実長と義絶して、身延を離山あそばされている。
 しかるに、宮田は「釈尊を根本にする」「それはそれで、あり」等というのだから、この連中(創価学会)が破門に処されたのは、
まさに「あり」というべきだろう。
 以上のような極重大謗法を、宮田は、今後の創価学会の向かう路線として発表した。
 創価学会員諸氏よ、本当にこのような大謗法にまみれて平気でいられるのか!? これらは、いずれも過去に学会が、「許しがたい大謗法」として
破折してきたものではないか。
 最初は御歴代上人の血脈を否定し、徐々に本門戒壇の大御本尊への信仰を捨て、ついに宗祖本仏義を否定して、釈尊を本尊とする―創価学会の
大謗法化は、ついに誰の目にも分かるところまで来た。
 ここで脱会しない者が、永(なが)く無間地獄に沈むことは必定(ひつじょう)である。一刻も早く堕地獄の舟から降りて、正法に帰せられんことを望む。

 
 
 
 

学会員さん、これでも目が覚めませんか!?

 

 

 

 

 
 
 
 
 
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