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慧妙 2015年11月16日
来る十一月十八日、創価学会は学会創立八十五周年の節目を迎える。当然、それを祝うイベントが目白押しになろうが、本紙は断言する!
それらのイベントにおいて、池田大作が一般会員の前に姿を現わすことは絶対にない、と。
社交儀礼に反する代理授受
〝世界の指導者・池田センセー〟への顕彰(けんしょう)は、今だ止どまるところを知らない。
九月・十月の二ヶ月間の『聖教新聞』から、海外諸機関の代表がわざわざ日本に来て称号や感謝状等を授与した、という例だけを拾っても、
「中国泰州市梅蘭芳研究会 池田名誉会長に名誉顧問称号」(九月十二日付)
「主体性のある〝世界人〟育(はぐく)む 韓国慶南大学から池田SGI会長に名誉教育学博士号」(九月二十一日付)
「先住民マオリの代表 SGI会長の教育貢献を賞賛」(十月六日付)
「アルゼンチンサルバドル大学 池田SGI会長に感謝状 世界平和への貢献を讃(たた)え」(十月十一日付)といった具合いである。
その一例として、韓国慶南大学からの顕彰を報じた記事の、リード部分を紹介しよう。
〈きょう21日は、25年前、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が韓国を初訪問した日である。この節目を寿(ことほ)ぐように、韓国・慶南大学から創価大学創立者のSGI会長に、名誉教育学博士号が贈られた。授与式は20日、東京・八王子市の創大記念講堂で開かれた「創価教育同窓の集い」に続いて挙行され、慶南大学の朴在圭総長、同総長夫人の北韓大学院大学・金仙香理事長、李鍾鵬慶南大学対外副総長、宋炳周同大学院長、崔鎬成同教育学部長、朴廷鎭同対外交流所長らが列席。学位記が創大の池田博正最高顧問に託された。〉
慶南大学側は、大学総長以下の最高幹部がわざわざ来日し、授与式に臨(のぞ)んでいる。
しかるに、顕彰される側の池田は、自らは姿を現わさず、息子の博正に名代(みょうだい)で受け取らせているのである。
この他の授与式の記事にも目を通したが、やはり池田大作の姿はどこにも見当たらない。全て代理の者が受け取っているのである。
これはおかしい。というのも、『聖教新聞』(八月五日付)は、池田は夫婦で東京富士美術館を視察し、「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」なる美術展を鑑賞していたことを報じているからだ。
美術展ごときを見に行けるほど〝元気〟な池田が、自分を顕彰するために、わざわざ来日して最高の儀礼を尽くしている客人に、会うこともしない、というのは、どう考えても社交儀礼に反するだろう。
それも、一回や二回ではない。池田に対する名誉称号や勲章等の授与の悉(ことごと)くを、代理で済ませているのだから、異常というしかない。
「センセーはお元気」は情報操作
本来なら出席すべき重要な席に、池田が姿を現わさない、否、現わすことができないのは、池田の健康状態にその理由がある。
本紙はかねてより、種々の情報を分析して、池田が脳に重篤(じゅうとく)な病気を抱え、立って歩くことはおろか、意思表示をすることさえままならぬ〝生ける屍(しかばね)〟状態にある、と断じてきた。
これに対し学会は、「池田センセーは原稿執筆に忙しくて姿を現わせないだけ」「センセーは、弟子達を育てるために、あえて全ての行事に出席せずにいる」等のデマ情報を口コミで流し、機関紙には、いつ撮(と)ったかも判(わか)らない静止写真や、ゴーストライターに書かせたであろうメッセージや駄文を載(の)せ、時には、「子供が池田センセーから激励された、と言っている」等というアリバイ作りの記事まで載せてきた。前の美術展鑑賞の記事もその典型だ。
こうした学会の情報操作に踊らされ、多くの学会員が、いまだに「池田センセーはお元気で指揮を執(と)っておられる」などと思い込んでいるというが、ならば、どうして、対外的にも本人が出席しなくてはならない重要な席に、池田は全く姿を現わさないのか、それをよく考えてみれば答えは明白であろう。
詐術を駆使した『聖教』記事
ここでもう一つ、学会の情報操作を裏付ける事例を紹介しておこう。
それは、十月十四日付の『聖教新聞』の1面に載った、小さな記事である。
〈創立者夫妻創価大学へ 創大祭・白鳥祭の成功を祝福
創価大学創立者の池田名誉会長夫妻は13日午前、東京・八王子市の同大学を訪問した。
キャンパスでは11、12日の両日、伝統の第45回「創大祭」第31回「白鳥祭」が開催され、挑戦と創造の心光る催(もよお)しが、にぎやかに行なわれた。
この日、創立者は、車で構内を回り、愛する創大生、短大生、留学生らに「みんな、ご苦労さま。創大祭、白鳥祭の大成功、おめでとう!」と真心の伝言を贈った。また、創立者は、秋季リーグ戦で熱戦を繰り広げる硬式野球部の「ワールドグランド」や、17日の箱根駅伝予選会に挑(いど)む陸上競技部・駅伝チームの「太陽の丘クラブハウス」などを視察。
さらに、2017年1月に完成予定の新「滝山寮」の建設現場を訪れ、〝人間教育の学府〟の発展を心から喜んだ。〉
写真も添付されていない、わずか本文三十三行のごく簡単な記事だが、その意味するところは、じつに重大である。
おそらく多くの学会員は、この記事を読み、〝やっぱり池田先生はお元気だ! だって、あの広い創価大学の構内を視察して回られ、創大生達を心から激励されたんだから!〟と、単純に喜んだことだろう。また、そのように思わせるための記事になっている。
しかし、記事をもう一度、よく読んでいただきたい。
池田センセーが「車で構内を回」ったとは書かれているが、「歩いて回った」とは、どこにも書かれていない。つまり、誰も池田の生の姿を見ていないのだ。
さらに、「愛する創大生、短大生、留学生ら」に対する激励も、「伝言を贈っ」た、というのであって、実際に声をかけたわけではない。
つまりこの記事は、池田大作が、「車から降りる」どころか、「車窓から声をかける」程度の意思表示もできない、まさに〝生ける屍〟状態にあることを端的に示したものに他ならないのである。
にも拘(かか)わらず、創価学会、否、正確には一握りの創価学会最高幹部は、なぜ池田大作がさも元気なように見せかけようとするのか―。
今や操り人形と化した池田!
考えられる理由はただ一つ。池田が〝生ける屍〟になったことで、創価学会を私(わたくし)することができるようになった一部の最高幹部にとって、池田には〝いつまでもお元気〟な御輿(みこし)でいてもらった方が、盲目的な会員達を操るのに都合がよいからである。
つまり、あれほどの権勢を誇(ほこ)った池田大作も、今や一部の最高幹部の操り人形でしかない、ということである。盛者必衰(じょうしゃひっすい)は世の習いだが、何とも哀れな話ではないか。
もし創価学会が、本紙の推測を打ち砕こうと思うなら、それは簡単至極なこと。一般会員の前に、元気な池田大作を登場させればそれで済む。
ことに、記念日を重視する創価学会にとって、きわめて重要な節目ともいえる学会創立八十五周年の記念行事に、池田大作が姿を現わせば、それで全ては決着するのである。
その簡単なことが、できるかどうか―十一月十八日はもう間近である。
読者諸氏よ、いざ共々に、十一月十八日を心待ちにしようではないか。
福本・小谷仁の破折対談
(4面)